【6】“但馬の小京都”に学ぶ~興隆の鍵は自立・自律の精神
2020年06月24日
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために政府が求めてきた移動自粛が、6月19日から全面的に解除された。県境を越えての旅行が徐々に増えてくるとの期待が高まる一方で、旅行中の感染予防や万が一の発症への対処など、未知の体験への不安と困難さがつきまとう。
時間は少し戻るが、総務省が6月5日に発表した4月の家計調査で、パック旅行費が前年比97.1パーセント減となった。観光旅行には誰もが慎重になっていると見ていいだろう。コロナ禍と共に暮らす私達の生活は、仕事もプライベートな時間も、従来の仕方を見直し、模索する時期にさしかかってきた。こうした機会に、「観光と町づくり」という地域振興のキーポイントを問い直してみるのはどうだろう。
兵庫県豊岡市にある出石町(いずしちょう)地区は、「住みたい町」「再び訪れたい町」作りに取り組んでいる。同市内には有名な城崎温泉があるが、出石町は温泉地近くを流れる円山川(まるやまがわ)の上流に注ぐ出石川と谷山川沿いに広がる。江戸時代から小出、松平、そして仙石氏の城下町として栄えた。その足跡をたどると、観光による町づくりの成功の鍵は、「自立、自律」にあることが見えてきた。
出石町には、南側に2つの城跡がある。中心部からも眺められる有子山(ありこやま・標高321メートル)の山頂には、戦国時代の天正年間に但馬守護であった山名祐豊(やまな・すけとよ)が築城した有子山城跡(国指定史跡)があり、その麓には慶長年間に築城された出石城跡がある。
有子山を背にした北側が旧城下町で、今も町の中心部になっている。有子山城跡は石垣のみが古城の風情を残してたたずみ、出石城跡には復元された隅櫓(すみやぐら)が立つ。
近年の町作りの起点ともなったこの隅櫓と、出石城から話を進めていこう。
最上段に、有子山稲荷社が立つ稲荷曲輪があり、その下に本丸、二の丸、三の丸が続き、本丸の東西に2棟の隅櫓、本丸西端に多門櫓などが立っていた。
明治元年に城はすべて取り壊され、石垣のみが歴史を語るように往時の姿を留めている。その中にあって、本丸跡の東と西に立つ二つの隅櫓の白壁が一際目を引く。瓦屋根をのせ、漆喰塗りの白い壁が苔むした石垣と好対照を見せているが、この櫓は昭和43(1968)年に町民の寄付により再建された。当時の金額で2300万円が集まったそうだ。
「出石の町の人にとって城は心のシンボル。何としても復元したかったのです。全額を寄付で賄い、2棟の隅櫓を復元することができました。これが原動力になって、新しい出石の町作りがスタートしました」と、NPO法人・但馬國出石観光協会の森垣康平事務局長(46)は言う。
町作りの詳細は後に述べるとして、城址から城下へ入ってみよう。
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