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ポストコロナの観光地づくり《下》出石の発展――住民主導に真価あり

【7】“但馬の小京都”に学ぶ~興隆の鍵は自立・自律の精神

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

 コロナ禍とともに暮らす時代の「観光と町づくり」の在り方のヒントを得ようと、兵庫県北部の豊岡市にある出石町を探訪している。

観光のマネージメントも住民の手で

 前回記事「ポストコロナの観光地づくり《上》出石の町衆の心意気」では、“但馬の小京都”として親しまれるこの城下町での、城の復元や歴史的な町並みの保存への取り組みを振り返った。そこでは、行政に頼らない、住む人たちによる町づくりが、観光発展の原動力となっていることが見てとれた。

 今回は、観光事業のマネージメントについて取り上げてみたい。

 出石町の観光協会は、観光の推進に不可欠な財源を確保するために、先駆的な事業を多彩に展開してきた。事業の伸長を受けて、第三セクターの公社も誕生。経営は、「住民主導、行政参加」の形で進んできた。その軌跡をたどり、成功への鍵を考えてみよう。

藩主ゆかりの「皿そば」を名物に育てる

拡大白磁の出石焼の小皿にそばを盛り、つゆをつけて食べる出石皿そば(筆者撮影)
 昭和48(1973)年に改組した観光協会がまず着手したのが、出石名物の皿そばのお店の経営である。出石城の二の丸跡に出店。昔から伝わる小皿に盛るスタイルを踏襲する一方で、食べ方は、小皿につゆを掛ける形から、ちょこに入れたつゆにつける手法に変えた。

 小皿、そばちょこ、つゆを入れる徳利は、特産の白磁の出石焼を活用。薬味にネギ、ワサビ、山芋、白い鶏卵をつけた。

 「白い器に、グリーンの薬味を添えるというのも、当時のアイデアです」。合併前の旧出石町の時代から、役所の幹部として地元の観光行政を担ってきた加藤勉さん(69)は言う。

拡大出石名物の皿そばの店は40軒以上に増えた(beeboys/shutterstock)
 小皿は1人前で5皿つく。しかし、当初は、出石の名も、この地のそばも、広く知られてはいなかった。

 そこで、京阪神を皮切りにデパートなどで皿そばをPR。味の良さと、小皿に盛って食べる珍しさも相まって、次第に人気を呼び、当初は観光協会など6軒だけだった店舗が、今や多くの店が誕生して44軒となり、出石の名物へと成長した。

 この出石皿そばは、元をたどれば、3代目藩主の仙石氏が、前任地の信州上田から入府する際に共に移住してきたそば職人が広めたのが始まり。やはり、城との関わり合いは深い。

拡大「出石皿そば巡り」セット(但馬國出石観光協会提供)
 なお、観光協会はその後、そばの店舗は閉じ、現在は町中の3軒のそば店を巡って計9皿分の食事が楽しめる「出石皿そば巡り」セット(2000円・税別)を販売。食券がわりの『永楽通宝』型コイン3枚を、特産品の「出石ちりめん」で作った巾着に入れたアイデア商品で、年間6000人ほどが利用すると言う。

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筆者

沓掛博光

沓掛博光(くつかけ・ひろみつ) 旅行ジャーナリスト

1946年 東京生まれ。早稲田大学卒。旅行読売出版社で月刊誌「旅行読売」の企画・取材・執筆にたずさわり、国内外を巡る。1981年 には、「魅力のコートダジュール」で、フランス政府観光局よりフランス・ルポルタージュ賞受賞。情報版編集長、取締役編集部長兼月刊「旅行読売」編集長などを歴任し、2006年に退任。07年3月まで旅行読売出版社編集顧問。1996年より2016年2月までTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」旅キャスター。16年4月よりTBSラジオ「コンシェルジュ沓掛博光の旅しま専科」パーソナリィティ―に就任。19年2月より東京FM「ブルーオーシャン」で「しなの旅」旅キャスター。著書に「観光福祉論」(ミネルヴァ書房)など

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