旧軍港市・呉市で70年前にあった住民投票の物語
今井一 ジャーナリスト。[国民投票/住民投票]情報室 事務局長
軍転法は憲法95条に基づいて制定された
法律は国会で可決されれば、原則的には制定・施行されるのだが、軍転法のような地方特別法は、憲法の規定により、可決後にその法律が適用される自治体で住民投票にかけ住民の承認(賛成多数)を得なければ制定できない。
憲法第95条
一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
この憲法95条の規定に則り、これまでに広島平和記念都市建設法、首都建設法など16の地方特別法(「改正法」を含む)に関して、国会が可決した後に住民投票が行われた(19件:記事末尾に一覧)。旧軍港4市では1950年に軍転法の是非を問う住民投票が実施された。その軍転法に関して、呉市の事例を基に誕生の経緯と仮死状態となった理由を解説する。
「戦犯都市」として罵られ
呉を舞台とした劇場アニメ『この世界の片隅に』のなかでも描かれている呉海軍工廠は、東洋一の規模・技術水準を誇る軍需工場として「大和」「長門」といった大型戦艦をはじめ数多くの巡洋艦、潜水艦などの建造を担った。
まさに皇国日本の要衝たる軍需産業都市だった呉。だが、それゆえに米軍による呉への攻撃は容赦なく、隣接する広島市への原爆投下の10日前には計2千機の艦載機がすさまじい空爆により呉軍港内にあった多数の艦艇を爆撃して沈没させた。

呉海軍基地に放置された特殊潜航艇
「蛟龍」(全長26m直径2m)。1945年10月に米海軍が撮影したもの(U.S. NationalArchives)
戦後、呉市は財政的に存亡の危機に直面するのだが、原爆でやられた広島には同情を寄せる他都市の人々も呉に対しては冷ややかで、「戦犯都市」「軍閥の遺児」と罵られたりもした。
そんな瀕死の呉を救ったのがGHQによる軍艦解体の指示だった。終戦当時、呉鎮守府に在籍していた艦船は、戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦など計143隻で、このうち内地の海域に所在するものは、すべて撃沈し解体するか連合軍に引き渡すようGHQに指示された。
米軍による空爆で海軍工廠はかなりのダメージを受けたがまだ使える設備はあった。かつて軍艦を造っていた工場を使ってその解体作業を行うことに「屈辱的だ」と背を向ける人は少なく、大きな雇用を生むGHQのこの指示を呉市は歓迎し、市の財政は随分と潤った。
ただし、解体作業がほぼ完了する1948年度の下半期に呉市は深刻な不況に見舞われる。市は、軍港を自由な商業貿易港として転換活用するしか復興の道はないと考え、旧日本海軍施設の払い下げなどを求めて閣僚・国会議員への働きかけを強めたが、「呉市だけを特別に贔屓できない」と突っぱねられていた。