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東京23区は「ニュース砂漠」~大都市圏に広がる「取材空白地帯」

メディアが抱え込む「中央目線」取材体制の弊害

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

 東京都知事選が始まり、都知事選絡みのニュースが増えてきた。ただし、「都政」が日常的にニュースになる半面、新聞やテレビ、新興のネットメディアは東京の区政をほとんど掘り下げたことがない。

 実は、東京23区こそ、日本の「ニュース砂漠」である。なぜ、こんなことになっているのか。過去3回の記事(『黒川検事長と賭け麻雀をした記者は今からでも記事を書け』『「リーク」とは何か~当局はジャーナリズムを使って情報操作する』『「スクープ」とは何か~新聞社は「時間差スクープ」の呪縛を解け!』)に続いて、報道界の構造的な歪みを検証したい。

Leonid Andronov/Shutterstock.com

ほとんど報じられない千代田区長のマンション購入疑惑

 いま、千代田区政が大揺れになっていることをご存知だろうか。区長が不正な手段を使って区内の高級マンションを購入したのではないかと指摘され、区議会に百条委員会が設置されたのである。問題の発覚は今年3月のNHK報道で、6月16日には百条委員会が区長を証人尋問した。

 千代田区の人口は6月時点で約6万6千人を数える。23区の中では、22位の中央区が約16万9千人。人口比では断トツの最下位だが、日本を代表するビジネスエリアや皇居を抱え、知名度は圧倒的である。その行政トップの不正疑惑だから、本来なら激しい報道が続いて良さそうなものだ。

 ところが、記事横断検索サービス「Gサーチ」を使って、「千代田区」「区長」「マンション」の3ワードでand検索したところ、読売、朝日、毎日、産経、東京の5紙、およびNHKの6メディアで合計27件しかヒットしなかった(6月23日時点、対象期間は1年)。

 しかも、22件を数える新聞記事の大半は、都内版の掲載だ。扱いも決して大きくない。全国版(東京本社版)に掲載された記事の見出しもベタか2段であり、重要ニュースの扱いではない。ネット配信の記事も少なく、SNSでの拡散も今ひとつのようだ。この出来事を知らない千代田区民がいても不思議ではない。

記者1人が5以上の区を担当することも

 日本の顔でもある千代田区の行政長に関する不正疑惑は、そんなにニュース価値がないのだろうか。そうかもしれないが、大手メディアの取材体制から眺めてみると、違う風景が見えてくる。簡単に言えば、区に関する取材体制の希薄さである。

 Gサーチで4本の記事がヒットした朝日新聞の場合、記者1人がおおむね3つの区を担当しているという。他の新聞も似たようなものだ。1人で5区以上を担当するケースもある。

 区単位でも取材分野は広範囲だ。区長や区議会、区の行政全般、教育・学校、保健衛生、商店街や地元企業、地域の話題、イベントなどおそろしく広い。仮に1人の記者が23区西部の世田谷区(人口約94万4千人)、杉並区(約58万8千人)、中野区(約34万4千人)の3区を担当する場合、人口は約187万6千人にもなる。これでは、まともな取材ができるはずがない。

 人口規模が同程度の札幌市(約190万人)には巨大なブロック紙・北海道新聞がある。福岡市と神戸市(いずれも約150万人)には、それぞれ西日本新聞、神戸新聞という確固たる地元紙がある。都道府県単位で見れば、世田谷区などの3区合計は、岡山県(約192万人)並みであり、そこには山陽新聞がある。

 こうした地方の新聞社は行政や議会、地元経済などの動きを十数人から数十人単位でカバーしており、取材の深さや幅広さ、情報の蓄積は、23区に関する各社のそれとは比べものにならない。

 区レベルの行政を丹念に追うメディアとしては「都政新報」があるが、行政職員向けの専門紙だ。インターネットメディアの「みんなの経済新聞ネットワーク」は23区内に30媒体を擁している。しかし、グルメ記事やエンタメ情報などが主体であり、区政や区内の問題点を洗い出すメディアではない。

 こうして23区は「ニュース砂漠」に陥っている。

 全国紙ではニュースへの関心が「全国的なネタ」に著しく偏在し、その狭い範囲で同業者と激しい競争を続けてきた。「時間差スクープ」に熱を入れる文化は、その象徴だ。

 取材体制もそれを支える形で発達し、東京にいる圧倒的多数の記者は半世紀前も現在も「永田町・霞が関(政治、行政)」、「日本橋・丸の内(金融、民間経済)」などに配置されている。いずれも目線は「中央」に向いている。

小池知事は知っていても区長は知らない

 インターネットメディアの隆盛によって、米国では多くの地方紙が消え、「ニュース砂漠」があちこちに生まれている。地方行政の腐敗や不公正に対するチェック機能が薄くなり、住民に必須の情報も届かなくなっているという。

 同じ観点で言えば、東京23区という「地方」はもともとニュース砂漠だったのだ。小池百合子知事の名前と顔は知っていても、自分の住む区のトップについては顔も名前も知らないという区民は相当いるはずだ。

 「地方」とは、地理的な概念のみを指しているのではない。自らの足元に目を向けないならば、メディアにとっては、千代田区も世田谷区も「地方」である。

CAPTAINHOOK/Shutterstock.com

 半世紀以上もの長い年月をかけて、日本の報道界では新聞が”報道文化”を築き上げてきた。「中央目線」を主流の価値観として定着させたのも、その結果、取材を中央に偏在させてきた新聞である。

 地方のニュースを地方枠(新聞の都内版を含む)に押し込めていく「中央目線」は、ニュース砂漠と裏表の関係にある。全国に共通する問題を地方支局の記者が発掘し、本社に記事を送ったとしても、最終的には東京での取材勤務に長けた東京本社のデスクや編集者がその価値を判断する。「地方の出来事だから地方の問題だろ」という発想が企業内にはびこっていても不思議ではないし、実例にも事欠かない。

 例えば、東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐっては事故後、「マスコミは事故前に原発問題を素通りしていた」という批判が渦巻いた。これは半分正しく、半分は間違っている。

 佐賀県の玄海原発でプルサーマル導入が大問題となった2000年代後半、佐賀新聞はこの問題を大きく取り上げ、連載記事や一般記事で安全性に疑問を投げかけていた。静岡新聞は、長期連載「浜岡原発の選択」(2008~09年)などを通じ、地震と原発、地震と地域行政といった問題に鋭く切り込んでいた。原発銀座を抱える福井新聞、核燃料サイクル施設を注視し続ける東奥日報(青森県)なども同様である。

 他方、全国紙はこれらの原発問題を「地域問題だ」と判断したのか、記事を県版・地方版に押し込める傾向が強く、各原発の問題を恒常的に全国ニュースとして発信していなかった。原発に限らない。東京の老舗デパートが閉店すれば全国枠のニュースになり、地方の百貨店は破綻してもなかなか全国ニュースにならない。そんな傾向は多くの市民も実感しているのではないか。

全国紙の編集局長たちの目線

 「中央目線」の実例としてある会議録を引用しよう。

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