「賭け麻雀」をこれで終わらせていいのか
ジャーナリズムの意味を再確認し、「報道と権力」の関係を見直す絶好の機会をいかせ!
高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト
緊急事態宣言下でなければ悪くなかったのか
『私たちの報道倫理、再点検します』は、朝刊第3社会面に掲載された。4段見出しというそれなりに大きな記事だったとはいえ、1面でも第1社会面でもない場所に、ひっそりと顔を出していた。「おわび」は大意、朝日新聞社社員が緊急事態宣言下で賭け麻雀していたから悪かった、という内容である。
世の中の全ての出来事は過去の積み重ねの結果である。「おわび」はそれを省みず、構造的な問題にも触れていない。読者の多くは憤怒し、失望し、諦念したのではないか。
「おわび」はこう書いている。
取材先に肉薄することで、相手の代弁者になったり、都合のよい情報ばかりを提供されたりする懸念は常にあります。批判の対象になり得る取材先との緊張感を失えば、なれ合いや癒着が疑われます。今回の問題は、報道機関の一員としてそこが問われました。
取材先に肉薄することで得られる情報とは何か、どのようなものか。権力監視を本務とするジャーナリズムの実行者として、それらの情報をどう活用してきたのか。最も肝心なこの点について「そこが問われました」と記しつつ、具体的な回答は書かれていない。(『黒川検事長と賭け麻雀をした記者は今からでも記事を書け』参照)