「賭け麻雀」をこれで終わらせていいのか
ジャーナリズムの意味を再確認し、「報道と権力」の関係を見直す絶好の機会をいかせ!
高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト
ゴーン事件報道は検察権力の監視につながったのか
「夜討ち朝駆け」に象徴される密着取材で得られる情報とは、どんなものか。相手にとって「都合のよい情報ばかりを提供されたりする懸念は常にあります」という「おわび」の見解は、実際、その通りである。数人から十数人の記者が当局者と一緒するオフレコ懇談(時に酒食を伴う)でも、どこかで1対1になった場合も、基本的にそれは変わらない。
いつの時代であっても、権力者・当局者は自らにとって都合の良い情報を、都合の良いタイミングで、都合の良い方法を用いて発信する。権力者・当局にとって、密着取材はその好機でもある。
一方、取材者は多くのケースで権力者・当局者とガチンコで対峙できず、彼らの論理に巻き込まれながら取材を続け、いつの間にか二人三脚の関係になっていく。「いつかは本当の記事を書いてやる」との思いをなかなか実現できないまま、取材者は異動する。そのうちに世代交代は進む。そうやって、報道界は権力監視という方向性を見失い、賭け麻雀に代表される密着取材は連綿と続いた。
例えば、検察や警察の取材において、当局者が捜査の途中経過情報を記者に伝えるのはなぜか。事件を大々的に報道してもらい、世論を味方にしたいからだ。メディアを都合よく利用したいからだ。捜査の進展具合をどのメディアが先に報じるかという「時間差スクープ」は、そうした中で生まれ、日本の報道界に根付いた。(『「スクープ」とは何か~新聞社は「時間差スクープ」の呪縛を解け!』参照)
「報道によって捜査を妨害された」などと当局が怒るケースはあっても、大枠では権力側が認めた中での報道合戦を繰り広げているにすぎない。実際、他社に先んじて報じる時間差スクープが権力監視につながるケースがあるとの見解は、現在においても新聞社幹部が組織内で公然と語っている。
朝日新聞に限っていえば、最近ではカルロス・ゴーン氏の事件がケーススタディとして有効かもしれない。
ゴーン氏事件では、朝日が先行報道し、捜査の途中経過情報を詳しく報じた。その成果を2019年度の日本新聞協会賞に応募するほどだから、朝日新聞も「これぞスクープ、ジャーナリズムの成果」と判断したのだろう。
しかし、一連の報道が検察権力の監視にどうつながったのか、読者にはさっぱり見えない。権力監視こそがジャーナリズムの本務であることを前提とすれば、ゴーン氏の犯罪容疑を検察と一緒になって追及するのではなく、捜査が適正、適法に行われているかどうかを第一の取材テーマにしなければならないはずだ。
政治分野の取材では、権力と報道が日常的に築いてきた関係がより鮮明になる。
政治家と日常的に接する政治部記者が自らの手で政治権力の腐敗に切り込んでいく調査報道が、過去、どれほどあったか。近年の実例は多くない。
権力腐敗の芽が見えたとしても、たいていは政治家との関係が壊れるのを恐れ、自ら取材に乗り出さない。それが政治記者と政治家の関係である。密着取材の概要を示した「取材メモ」が同業他社間で交換されたり、政治家との懇談メモが敵対政治家に流れたりするケースも少なくないが、逆に言うと、それほどまでに権力と報道の境界線はあいまいになっているということだ。