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コロナ禍と天皇幻想

出てこない天皇・出さない政府

菅孝行 評論家・劇作家

 新型コロナウイルス性肺炎の蔓延は、地震や洪水などの自然災害と共軛な性格がある。被害の到来とともに、社会の一体性の必要が煽り立てられ、挙国一致の空気が醸成される。そして、普通なら、日本では天皇の出番になる。各国の指導者は戦争のメタファを用いた。「コロナは戦争ではない」といったのはメルケルだけだった。

挙国一致と惨事便乗

 「国を挙げて」という空気の下で、被害は必ず様々な意味での弱者――独居老人、低所得者向け施設の老人、主に非正規雇用の低所得者とその家族、失業者、障害者、外国人労働者、老若男女を問わず集団感染の危険にさらさされる病院、老人ホームなど諸施設の入所者、元受刑者、受刑者などなど――に集中する。同時並行で、「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン)で暴利を貪る階層が出現する。

 3.11直後が想起される。この時も、国民的一体感が演出される一方で、惨事に便乗する階層と不利益の底に沈む階層への分岐が甚だしかった。不利益を被る層の内部は避難か残留か、地域指定の内か外かなどを巡って分断された。分断されながらそれぞれに辛酸をなめた。その辛酸に対する癒しが渇望された。この期待に政府は応えられなかった。渇望に応える役割が天皇明仁に振りあてられ、天皇皇后の避難所慰問で「感動」が組織された。夫妻が被災者目線で跪く独自の慰問スタイルが話題になった。「平成流」(原武史『平成の終焉』)の極致だった。

拡大福島第一原発事故からの避難者たちを訪問し声をかける=2011年3月30日、東京都足立区の東京武道館

天皇が出てこない不可思議

 コロナ禍の下で何故これと類似のことが行われないのか。新型コロナウイルス感染の危険は、3.11の被曝の危険よりも大きい。だから天皇は出てこないのだと言ってしまえばそれでお終いだが果たしてそうか。また、天皇の「ありがた味」が縮減して、政府に使う値打ちがないからさ、とう訳知り顔にも与せない。

 自然の暴威がもたらした「国難」のもとでの「国民的」一体感の醸成や不安の鎮静に少しでも有効で、激甚な副作用がなければ、「有難味」が多少縮減しても政府は天皇を使うだろう。メッセージだけならウイルスから遠く離れた皇居から発信できる。しかし、天皇夫妻はコロナ禍に特化したメッセージを発信しない。即位一周年の「おことば」でコロナ禍にもっと踏み込んで想いを語ることもできたはずだがそれもしなかった。権力には天皇を表に出すことを躊躇わせる重大な理由が存在するに違いない。

 東日本大震災当時、政権は民主党の弱体政権だった。翌年から一強の安倍に替わった。3.11当時も政権中枢に改憲論者はいたが改憲の優先順位は低かった。現政権とそれを支える神政連・日本会議派は改憲を狙っており、元首制であれ象徴制であれ、あくまでも政権の意向に即して活用できる「神聖天皇制」を望んでいる。天皇・皇后の行幸啓や「おことば」を、政権の望むかたちで間然するところなく演出できるかどうかが、権力にとっての最大の関心である。

 3.11の以前も以後も天皇は災害時に見舞いの巡幸も繰り返した。これは政府の要望に基づくものだった。しかし、第二次安倍内閣の8年間、政権と天皇家の確執があったことを忘れてはならない。折に触れた天皇の「おことば」は、改憲、戦争法制、辺野古埋め立て強行などに関する相剋と国論二分の要因となった。

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筆者

菅孝行

菅孝行(かん・たかゆき) 評論家・劇作家

1939年生まれ。舞台芸術財団演劇人会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化研究所研究員。著書に『戦う演劇人』(而立書房)、『天皇制論集第1巻 天皇制問題と日本精神史』(御茶の水書房)、『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)、『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)、編著に『佐野碩 人と思想』(藤原書店)など