2020年6月30日、東京地裁において、優生保護法に基づいて優生手術を受けさせられた被害者が国を訴えた裁判で、判決が言い渡された。
結果は、原告の請求を棄却するというものだった。私はこの東京弁護団に所属している。以下、判決を受け、私見を述べたい。なお、本稿は、弁護団としての意見を述べるものではないことにご留意いただきたい。

判決後に記者会見に臨む原告の男性=2020年6月30日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ
優生手術とは何か
この国は、かつて、1948年に旧優生保護法を制定し、障害のある方々を「不良な人」と差別した。そして、その存在を社会から排除すべく、子供を作れないようにする「不妊手術」を受けさせた。その数は、統計に表れているだけでも2万5000人以上にのぼる。
「25,000」
数字で表すと、それはまるで記号のように、とたんに抽象的な色彩を帯びてしまう。しかし、そこには2万5000の人生があった。2万5000の人々が、国家から子孫を残すことを禁じられた。もし仮に、自分がそのうちの1人になっていたとしたら、あなたはどう思うだろうか(旧優生保護法がいかにひどい法律であったかについては、拙稿「患者と医療者の権利 誰がどう守りますか?」を参照していただきたい)。
「除斥期間」の壁
国が障害のある方々に不妊手術を受けさせる。誰が聞いても「ひどい話だ」と思うだろう。しかし、裁判では、国の責任は否定された。それはなぜか。ポイントは「除斥期間」だ。
これは、「時効の強力バージョン」といえる。「悪いことをしても、20年経てば損害賠償を請求されなくなる」という制度だ。被害者には酷な制度ともいえる。
本件では、原告は、1957年に優生手術を受けたのだが、訴訟を提起したのは2018年だ。手術から60年以上の月日が経っていた。そうすると、既に除斥期間は経過していることになる。よって、請求は認められない。形式的に考えると、そういう結論になる。
しかし、原告の場合には、そうやって切り捨ててはいけない事情がある。