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「Black Lives Matter」の訳は「黒人の命をなめるな」がふさわしい(上)

そこに映る翁長雄志・前沖縄県知事の言葉との相似性

田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

 「差別をなくそう」「命は大事」――6月14日に東京で行われたBlack Lives Matterのデモのシュプレヒコールである。

 国内外で運動が盛り上がっている。その一方で、周囲の友人に今回のデモへの見解を質すと、多数の「誤解」があった。それは、主に①デモでは頻繁に「暴動」が起きている②デモに行くくらいなら投票を行うべきである③日本人はそもそも「黒人問題」に無関係の存在である、といったものである。

 本稿ではBlack Lives Matter運動の起源や、日本における差別問題に触れながら、そうした誤解に対して反論を試みたいと考えている。さらに「マイノリティー」との連帯を訴えるこの運動が盛り上がった理由についても言及する。

「日常の延長」化する平和的なデモ

Black Lives Matterのデモの風景=2020年6月14日、東京都渋谷区、筆者撮影Black Lives Matterのデモの風景=2020年6月14日、東京都渋谷区、筆者撮影

 実際に筆者もデモに参加した。参列した人々は主催者発表では3500人、警察発表によると5000人を数えた。普段のデモとは異なり、外国籍の方(や外国にルーツを持つと思われる方)が多数を占めていた。また高校生と思われる参加者も散見された。彼/彼女らの殆どは選挙権を有していないが、街頭行動は誰にも「開かれた」ものである。今回、改めて実感した。

 ニュースでは、海外のデモにおける略奪行為などが一方的に取り上げられていた。もちろん、こうした行為を行った参加者はごく一部に限られるが、権力側によって徒に喧伝されていた。

 今回の運動の主催者は「行進中に平和的ではない行動を起こした参加者は直ちに警察へ通報し、警察側の処罰となります」という告知をしていた。主催者側が警察に通報するというのは、正直いかがなものかと違和感を覚えた。今回のデモから遡ること約1か月、5月22日にクルド人男性が警察官による職務質問の際に首を押さえつけられるという事件が東京でも発生していたからだ。また、留置場での取り調べ対応や長期拘留の問題を含め、いわゆる「人質司法」の問題は国際的な批判を浴びている(注1)。とはいえ、現実にどういう衝突が起こるかわからない以上、用心を呼びかけるのも無理はなかったのかもしれない。

 実際に参加したデモは極めて平和的だった。手を繋ぎながら参列しているカップルさえいたことは、まさに「平和な行進」の象徴だったように思われる。「日常の延長」としてデモを位置づけているのだろう。SNSと街頭行動はますます連続的なものになっている。

 ちなみに今回、渋谷駅周辺では在特会関係者が「ヘイトスピーチ」を行っていた。そうした「ヘイト」行為に対しても、ほとんどの参加者が取り合わなかった。「カウンター」のデモ隊の中には、わたしたちのデモに連帯の意思を表明してくれる人もいた。

Black Lives Matterのデモで、少女が掲げていたプラカード=2020年6月14日、東京都渋谷区、筆者撮影Black Lives Matterのデモで、少女が掲げていたプラカード=2020年6月14日、東京都渋谷区、筆者撮影

Black Lives Matterが生まれた瞬間

 さて、Black Lives Matterをいかに訳すかについては、さまざまな意見がある。実際、朝日とNHKは「黒人の命も大切」、毎日、読売、日経の各紙は「黒人の命は大切」としている。また、専門家のあいだでも翻訳が分かれるようである(注2)。結論からいうと、筆者は「黒人の命をなめるな」と訳すべきだと考えている。

 そのことを考えるうえで、まずはBlack Lives Matter運動の起源について検証してみたい。

 2012年2月に米国のフロリダ州で黒人の高校生が、フードをかぶって飲み物とお菓子を買って帰宅する際、ジョージ・ジマーマンという自警団の男に不審者と見なされて射殺された。ジマーマンは2004年から2012年の間に警察に少なくとも46回(!)も日本の110番にあたる「991番」に電話をかけ続けていた。騒々しいパーティー、ガレージのドアの開け方、通りで遊んでいる子供たち……さまざまな地域の「騒動」を警察に報告していたのである。今風の言い方をするのであれば、「自粛警察」

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