正しい解決策を無視したリベラルの運動への疑問
2020年07月09日
ミネアポリスで、白人警察官4人組によって黒人のアメリカ人が殺害された事件が、大規模な運動を呼び起こしていることが大きく報道されている。この動きは、確かに、世界中に広がりを見せ、貧富の差の広がりやコロナ禍とも関連しつつ、長期にわたる人種差別問題のど真ん中に位置付けられる事件であることは間違いない。その意味で、多くの識者の議論が間違っているわけではない。
しかしながら、どうすればアメリカの黒人が警察官に殺されないようにできるかという、肝心要の問題が、あまりに無視されていると、私には思える。そこに注視して、問題の原点に帰ってみて、指摘したい論点がある。
アメリカの人種問題を簡潔に振り返っておこう。1960年代の公民権運動の盛り上がり、キング牧師の暗殺からブラックパンサー党の活動というように歴史を要約してしまうのではなく、より、普通の黒人の生活に目を向けたい。
日本人にとっての差別は、同じ学校に通っていて同級生から受けたりするが、アメリカでは、同じ学校には通学できず、黒人居住区に閉じ込められて白人と出会う機会がないというのが実態であった。失業して、うろついていたところ、犯罪者とされて刑務所に入れられる。そこでは、受刑者が有色人種で、看守が皆白人である。ここにおいて初めて白人と接触する機会を得て、人種差別の実態を体験する。
そのため、刑務所こそ、人種差別の学校と呼ばれ、受刑者の連帯と、人種運動の結びつきは強い。1971年のアッティカの刑務所暴動に代表される黒人による刑務所暴動が発生し、州兵による銃撃により多数の死者がでた。実はこれは、黒人囚人による施設内環境改善のための交渉要求を単なる暴動とみなして一斉射撃がされたのが真相と言われ、司法解剖による死因調査など、時間はかかっても、州政府と刑事施設側の非が明らかにされたところは、アメリカ流の正義、面目躍如であった。
このころのリベラルの運動は、連邦最高裁判例に代表されるように、司法的なものであった。人種差別をなくすべく有色人種側にたち、刑務所の環境改善を求める訴訟において、受刑者が裁判で勝ちまくり、おびただしい数の同様の訴訟が起きた。非のうちどころがない優秀な黒人青年が、人種以外の理由では説明できない不当な扱いを受けている事例を対象に訴訟を起こす、NAACP(全米黒人地位向上協会)の訴訟戦略も勝利を収めた。
警察官と黒人に焦点を絞っていこう。警察官との対立といえば、1965年のワッツ暴動に代表される「暴動」が多発した。1970年代には、対策として、黒人の警察官が必要であることが議論された。その結果、地域によっては、
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