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コロナ前は戻るべき場所ではない。新たな社会を創るために

ポストコロナを生きる① まずは仕事と住宅の一体構造の克服を

奥田知志 NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

拡大活動する奥田さん。「リーマンショック危機の際には、多くの非正規労働者が仕事を失うと同時に家を失った。そして、路上生活を強いられる人が日本各地で増えた。同じ失敗を繰り返すわけにはいかない」と言う。

 新型コロナウイルスとの闘いが続いている。世界の感染者数は1100万人を上回り、死者も54万人を超えた。日本人感染者数は2万人を超え、死者も1000人に近づいている。(7月8日現在)。4月7日に発出された緊急事態宣言は、解除されたが、第2波の不安が募る。

 多くの人が「いつになったらあの日に戻れるのか」と嘆いている。すでに2カ月近く「異常な日々」が続いている。正直、何もかもが変ってしまった気分だ。補償なき「休業要請」によって廃業など「回復不可能」な状態に追い込まれた人々にとっては「戻りたくても戻れない」のが現実だ。今後、派遣切りや雇い止めが増えるのは確実で、「自殺か、ホームレスか」という最悪の事態だけは何としても避けたい。

あの日は戻りたい社会だったか

 だが、私は「もう、あの日には戻れない」と思っている。それは新型コロナが終息しないということではない。

 いずれコロナも、ワクチンや治療法が開発され、終息を迎えるだろう。「戻れない」と私が言うのは「戻る必要はない」ということだ。

 新型コロナウイルスもいわば「自然災害」だ。「災害は等しくすべての人に及ぶ」と言われる。確かにウイルスは人を選ばない。金持ちも、有名人も、普通の人も、困窮者も分け隔てなく感染する。これは地震や台風と同じだ。

 しかし、被害については、平等ではない。なぜなら災害というものは、元々社会に存在した矛盾や格差、差別、あるいは構造的脆弱性が拡張し露呈する事態だからだ。たとえ新型コロナウイルスの感染を免れたとしても、コロナの影響で亡くなる人は出る。今回の事態で、貧困や格差がさらに広がり、コロナ関連死が起こることを懸念する。

 私は自問する。「あの日の社会は、本当に戻りたいような社会だったか」と。

 現在の「困難」の原因が「元の社会」にあったなら、そこに戻ったところで意味はない。だったら、「もう戻らない」、「その先へ行く」と考えるべきではないか。


筆者

奥田知志

奥田知志(おくだ・ともし) NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3400人(2019年2月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。その他、社会福祉法人グリーンコープ副理事長、共生地域創造財団代表理事、国の審議会等の役職も歴任。第19回糸賀一雄記念賞受賞な ど多数の表彰を受ける。NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」にも2度取り上げられ、著作も多数と広範囲に活動を広げている。著書に『もう一人にさせない』(いのちのことば社)、『助けてと言える国』(茂木健一郎氏共著・集英社新書)、『生活困窮者への伴走型支援』(明石書店)等

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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