新聞に“逆襲”のチャンスはあるのか
ニュース無料時代に有料デジタル版を成り立たせる戦略
校條 諭 メディア研究者
世界に冠たる「新聞王国」、できすぎた成功

新聞社の社史などの史料(筆者所蔵)
日本の新聞は成功しすぎた。
その源流は明治にある。1871年1月(旧暦明治3年12月)、日本での活版印刷による近代的な日刊新聞がはじめて発刊された。貿易にかかわる海外情報や物価情報を載せると宣言した横浜毎日新聞(今の毎日新聞とは無関係)である。

明治5年創刊の「東京日日新聞」の第1号。東京で最初に発行された日刊新聞で、 現在の毎日新聞 (東京) の前身にあたり、現存する日本最古の新聞だ
その後、新聞は、「大新聞(おおしんぶん、欧米風に言えば高級紙)」と「小新聞(こしんぶん、同大衆紙)」に明確に分かれて次々に創刊された。横浜毎日は大新聞の一角を占めた。
ところが、明治中期以降になると、大新聞・小新聞を折衷した“抱き合わせ”型の新聞が成長するようになった。大新聞として出発した毎日、小新聞として始まった朝日が、二大紙として発行部数で他を引き離すようになったのである。戦後、読売がそれらに並び、やがて追い越していく。
朝毎読(ちょうまいよみ)三大紙を筆頭にした新聞は、市場経済の発展のもと、世界でも有数の普及率を達成し、強力な広告メディアとしての地位を築いた。実際、すでに発行部数の減少が続いている2013年の統計でも、世界のトップ10の中に日本の新聞が5紙(上位3位までと7位、10位)入っていた。このような、世界に冠たる新聞王国の実現という“できすぎた成功”が、皮肉なことに今日の新聞の苦境のもとになっている。
「一家に一紙」……宅配新聞が届けてきた安心感
長らく、新聞社のアウトプットの中心は、記事と広告を割り付けた「紙面」だった。それを各世帯(家庭)に販売店を通じて、宣伝チラシとともに届けていた。すなわち、折衷抱き合わせ新聞は、家庭内共同利用メディアとしての役割を担っていた。「一家に一紙」は一般的な慣習となった。
従来の宅配新聞は、メディア論に詳しい服部桂氏の言葉を借りれば、「家庭に安心を届けてきた」。多くの家庭では、必要な情報があるから新聞をとってきたわけではなく、新聞というものはとることになっているからとってきたのである。
家族それぞれの新聞との接触の濃淡はあっても、「最低限世の中の動きについていっている」という安心感が提供されてきたといえるのではないか。だが、もし家族のうちひとりも強い動機を持っていなければ、便利な個人メディアが登場したときには移ってしまうという、共同利用メディアの脆弱性が内包されていた。
「新聞離れ」、実はネット登場以前から
現実には、インターネットの登場以前から、読者の新聞離れが進んでいたことも、明らかになっている。新聞を読んでいる個人(平日に15分以上読む人)は、1975年50%、1990年46%と、インターネット以前でもせいぜい半数だったのだ(NHKによる国民生活時間調査)。中には、「テレビ欄しか見ない」という人もいた。
このような実態にもかかわらず、一家に一紙の慣習は崩れず、部数は減少しなかったのである。いわば、知らぬ間にシロアリが食っていたようなものだ
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