メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

Jリーグ4カ月ぶり再開 J1最多632出場記録がコロナ時代を照らすか

増島みどり スポーツライター

最多出場の原点は、全ての上司に‘応える’プレー

 当時、落ち着きはらっていた新人のプレーは印象的で、レシャク監督の起用に「応えよう」とプレーしたという。この姿こそ22年間、キャリアの芯であり続けたといえる。フリューゲルスは98年に経営困難から消滅。横浜マリノスに吸収合併される形となり、遠藤は京都へ。01年にG大阪に移籍し、現在の宮本恒靖監督まで12人の監督(のべ13人)のもとでプレーをしている。

 内訳は日本人、スペイン人、ドイツ人、ブラジル人と監督によってサッカーのスタイルは様々で、攻撃的、守備的、あるいはシステムでも異なるものだ。J1の現在の試合数が年間34試合。632試合を達成するには、毎年全試合出場しても19年を要する計算になる。海外移籍は実現しなかったが、日本サッカーを海外に広めるというミッションで、日本代表でも152試合のAマッチ最多出場数を誇る。代表でも、組織的な守備を重んじたフランス人のトルシエ、初めてA代表に呼び、卓越したキック力を見抜いたジーコはブラジル人らしく個人技を尊重した。運動量を厳しく求めたボスニア・ヘルツェゴビナのオシム、イタリア人のザッケローニ、南アW杯で16強に進出した岡田武史各監督と、監督たちの独自のサッカー界にフィットして来た。

 GKならばイメージできる。しかしMFで、どの監督の指揮下でも、必ずコンスタントに試合に出場し続け最多出場を達成するためには、体のケアや日常生活の心がけだけでは足りない。

 体力の維持以上に、どんな「上司」が出てこようが変わらず仕事ができる。ずば抜けた対応力、調整力がなければ最多出場などたどり着けない。遠藤は、「監督の要求に応えようと考えて来た」と話す。

 「自分が持ち味を発揮して、やりたいと思うサッカーを続けていればいいとは思わないんです。監督がこういうサッカーを、と望むならそこに一番貢献し、機能するプレーを考える。そうやって対応できれば、自分が何かにこだわり過ぎたり、成長を止めてしまうこともないんじゃないか、と。そこに自分の良さをプラスして来たんだと思う」

 鉄人記録を支えるのは、

・・・ログインして読む
(残り:約1333文字/本文:約3075文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

増島みどりの記事

もっと見る