生きたいと思うのが人間。それを手伝うのが医師の使命だ。
2020年07月26日
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う51歳の女性が京都で死亡した。女性は体を動かすことや、話をすることができず、24時間ヘルパーが交代で介護していた。呼吸器は付けていないものの、意識ははっきりしており、目の動きを使ってパソコンの文字入力が可能で意思の疎通ができていた。
女性死亡の第一報には「安楽死」という言葉と、医師による「嘱託殺人」という言葉が並んでいた。一見複雑に見えるこの事件は、実はある意味で単純な「殺人」である。女性の父親は朝日新聞の取材に答えて、2人の医師に対しては「くそったれと思う」と答え、「娘の気持ちも理解できる」と語っている。この父親の気持ちに事件の本質が集約されている気がする。
議論の前提として、安楽死とは何かを整理しておこう。ここでは分かりやすさを優先して、安楽死を二つに分けてみる。ただし注意しておきたいのは、こうした分類は世界的に統一されたものはないということだ。
第一に、積極的安楽死。医師が致死的薬物を投与して患者を死に至らしめるものだ。この類型として、患者の自殺を医師が幇助(ほうじょ)する場合もある。医師は致死薬剤を患者に手渡すのみで、自殺を選択するのは本人である。
第二に、消極的安楽死。生命を維持するための医療の介入をしない、もしくは今行っている治療を手控えることで、患者を死に向かわせるというものだ。これを尊厳死という人もいる。
日本の場合、積極的安楽死は犯罪になるが、消極的安楽死については、日常的に医療現場で行われていると考えていい。私自身、小児がんの末期状態の子ども対して、鎮痛剤と鎮静剤のみを投与して、それ以上の治療を差し控えたことは何例もある。もちろん呼吸が止まっても人工呼吸はしないし、心停止になっても心臓マッサージはしない。
では、積極的安楽死は絶対に許されないのであろうか。かつて東海大学病院安楽死事件というのがあった。このとき(1995年)横浜地方裁判所は「4条件」を満たした場合、違法行為とならない可能性について述べている。4条件は次の通り。
1、患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる
2、患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前である
3、患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる方法で取り組み、その他の代替手段がない
4、患者が自発的意思表示により、寿命の短縮、今すぐの死を要求している
2と4が要件に必須なのは自明であるが、ここでは1と3に注目して欲しい。疼痛緩和療法の歴史は長く、私が研修医だった34年前から、末期がんの子どもに対する疼痛緩和は行われていた。技術は日進月歩であり「肉体の苦痛を除去・緩和」できない状況というのは想像しづらい。それほど疼痛緩和医療は進んでいる。
そのうえで、今回の事件の医師の行為について考えてみよう。
今回のケースでは1から3を満たしていない。1で想定される痛みとは癌性疼痛のようなものだ。女性は寝たきりで身体に痛みはあったはずだが、耐えがたいとまでは言えないだろう。2については、まだ呼吸があったのだから死期の直前ではない。3は、ヘルパーや主治医が可能なかぎり緩和をしていただろう。代替手段がないレベルまで到達していたと言えない。つまり安楽死ではない。
これは嘱託殺人以外ではあり得ないのだ。警察は慎重に捜査を進めたようだが、実はこの観点からは難しい話ではない。そして、この嘱託殺人が私たちの心を暗くする理由は、容疑者の医師が、生きるに値しない命は消した(枯らせた)方がいいと、考えていたからである。
彼らの考えによれば、
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