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ソーシャルディスタンスで楽しむ せせらぎ散歩

【8】富士の雪解けに潤う「水の都・三島」で川と親しむ

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

とけて 流れて 湧き出す…「水の都」三島

 ♪富士の白雪 ノーエ (略) 白雪 朝日でとける
 とけて流れて ノーエ (略) 流れて 三島にそそぐ

 これは静岡県三島市の民謡、「三島農兵節」の一節である(「三島農兵節普及会」の歌詞から抜粋)。昭和初期にレコード化されて全国的に人気を博し、三島の名も広く知れ渡った。

 三島市は、富士山から南東へ直線にして約30キロ下ったあたりに広がる。富士山に降り積もった雪が解けて地下水となり、ちょうど三島市あたりで湧水となって顔を出す。農兵節はそのことを唄っている。この湧水の集まった川が市の中心部を流れ、あちこちから染み出るように水が湧くことから、“水の都三島”の愛称もある。主な川は、蓮沼川、源兵衛川、桜川の三つ。中でも、源兵衛川は遊歩道が整備され、市民はもとより観光客にも人気が高い。

 緑陰の下、川中に置かれた飛び石伝いにせせらぎを行けば、「ソーシャルディスタンス」で散歩が楽しめる。

9年ぶりに満水。名勝・楽寿園に広がる小浜池

9年ぶりに満水となった楽寿園の小浜池(筆者撮影)

 JR三島駅の南口を出ると、正面に枝を広げたケヤキが目に入ってくる。三島市立公園の「楽寿園」である。今回の目的である「源兵衛川」は、この楽寿園の庭園に広がる小浜池(こはまいけ)を源にしている。

 楽寿園は、明治時代に富士山麓での軍事演習の折に三島を訪れていた小松宮彰仁親王が、1890(明治23)年に別邸として建てたもので、所有が民間に移った後、1952(昭和27)年に市の公園として一般に公開された。

 広さは、東京ドームの約1・6倍(約7万5400平方メートル)。敷地内を富士山の溶岩である「三島溶岩流」が覆い、その上に樹木約160種が自生して鬱蒼とした森林を形成している。庭園の一角には、冷えて固まったこの三島溶岩流の巨大な塊が残されており、1万7000年前の新富士火山の噴火の跡を目の当たりにできる。

 富士山に降った雪や雨は、地中に浸み込み伏流水となり、網の目のようになった地下の溶岩の間をぬって地表に湧き出しているのだ。その湧水を集めた小浜池が、庭園の中心に広がる。

 別邸は高床式の数寄屋造りで、公開されている室内からは、小浜池とそれを囲む森林が一体となって眺められる。楽寿園の説明では、雨や雪などが多ければ伏流水も多くなり、池の底の溶岩の裂けた溝すべてから湧き出すという。満水時には、水深が150センチ以上になり、木々の緑を池面に映して、美しい景観を楽しむことができる。

 今年は、7月中旬に大雨が続いた影響で、池は満水状態。楽寿園の山川晃所長(55)は「近年は渇水状態が続き、多くの年で池の底が見えるほどに湧水が少なかったのですが、今年は7月に入ってから満々と水をたたえています。水深は210センチに迫り、近年で豊かだった9年前の178センチを大きく超えました。しばらくは湧水に満ちた美しい庭園が楽しめます」と話す。

 記録に残る水深は、1961(昭和36)年の215センチが過去最高だという。小浜池と森林を中心とした庭園は、1954年に国の天然記念物および名勝に指定されている。

せせらぎ散策に心洗われる

 池から湧き出た水と、池に続く「せりの瀬」「中の瀬」「はやの瀬」といった瀬と呼ばれる一帯からの湧水が合流して源兵衛川となり、街中を南下する。せせらぎ散策が楽しいのは、この源兵衛川に沿ったルートである。

湧水が勢いよく流れ出ている「中の瀬」(筆者撮影)
 三島市観光協会の山口賛事務局長(64)によると、このルートは、三島駅を起点にして、源兵衛川の中に設けられた「川のみち」と呼ばれる飛び石伝いに歩いたり、川沿いの小道を行ったりと、変化に富んでいる。途中から下田街道に出て、三嶋大社などを参拝した後、桜川沿いを進み、湧水が噴き出す白滝公園などを巡って三島駅に戻るもので、全体で約5キロ、ゆっくり歩いて3時間ほどの散策だ。「親子連れや熟年のご夫婦など、幅広い層の方が楽しんでいますね」という。

 楽寿園の湧水は、この源兵衛川と、もうひとつ“宮さんの川”の名で親しまれている蓮沼川に分かれて南下する。

 源兵衛川は、全長約1・5キロ。市内を南下して中郷温水池に注ぐ。湧水の低い水温を、この池に貯めることで高め、ここから田畑などの灌漑に活用してきた。農業用水路の役目を担いながら、今日では、都市の生活空間を文字通り潤す命の水脈にもなっている。なお、三島市などの資料によれば、用水の歴史は、室町時代の豪族・寺尾源兵衛が灌漑用に小浜池から引いたのが始まりとされ、川の名もここからきているという。

 楽寿園の南口を出て左に道をとり、すぐに右折し、源兵衛川にかかる小さな芝橋を渡ると、遊歩道の起点に立つ。澄んだ水が勢いよく流れ、見ているだけで気持ちまでも洗われそうだ。“毎日こうした流れを見られる三島市民は幸せだな”と、思わず心の中でつぶやいてしまった。

かつては汚染で「死の川」に

 しかし、遊歩道の入り口に掲げられた案内板を見ると、この清流は多くの人の手によって蘇ったものであることを知る。

 案内板には、昭和30代後半の源兵衛川を紹介する写真がある。写し出された当時の川面は、よどんでごみが浮いており、今、目の前で見ている川とは別物の、死んでいるような痛々しい姿だ。これは、ゴミが日常的に捨てられ、生活雑排水が流れ込んだ結果であると記されている。富士山の伏流水も形無しである。

 加えて、経済活動の進展に伴い、上流部に進出した企業が

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