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コロナ禍は、新卒就職に「ニューノーマル」をもたらすか

転換は“自動的にはやってこない”としても……

児美川孝一郎 法政大学キャリアデザイン学部教授

1.事態を的確に見すえるために

 パンデミックとして猛威を振るう新型コロナウィルス感染症(COVID-19)拡大の影響で、今、学生の就職活動に何が起きているのか、そして今後、何が起きていくのかについて考えてみたい。

 大きなテーマなので、当然、さまざまな視点や論点がありうる。ここでは、多種多様な論点をいたずらに“混線”させてしまわないため、いわば議論の整理のための補助線として、以下の点に留意しておきたい。

時間的展望を意識した視点

 端的に言えば、現在の大学4年生(2021年卒)や3年生(2022年卒)の「就職活動」(就活に直接につながる「インターンシップ」を含む)に、いま何が起きているのかを探るといった<短期的視点>と、コロナ禍を経て、afterコロナの時代の学生たちの「教育から雇用へのトランジッション」には、今後、どのような変化が現れるのかを問うといった<中・長期点視点>とは、いったんは明確に切り分けて論じることが必要である。(ここでは、「就職」と「トランジッション」も、用語として意図的に使い分けているが、その点は3.で詳述する。)

 もちろん、そうはいっても、いま現に起きている動きのなかに、中・長期的な未来への「芽」が息吹いているということは、十分にありうる。そうなのだが、しかし、コロナ禍という危機がいかに甚大なものであるとしても、私たちの「現在」は、過去からのさまざまな「経路依存」を引きずるかたちでしか存在しない。つまり、どんなに大きな危機に襲われたのだとしても、現在が、突然ゼロからスタートするということはない。

 その意味で、2020年夏の私たちの現在には、確かに危機を触媒として「変化」を促そうとする力が強力に働いていると思われるが、同時に、危機を何とかやり過ごし、元に戻ろうとする力も存在し、作動している。両者は拮抗し、せめぎ合っているのである。

 それゆえ、<短期的視点>で見れば、「変化を促す力」よりも、「元に戻る力」のほうが強く働くということも、実は十分にありうる。逆に、<短期的視点>では、「変化を促す力」のほうが圧倒的に強く見えたのに、<中・長期的視点>に立って振りかえってみると、実は「元に戻る力」の頑強さを思い知らされるといったことも、当然起こりうる。

 現在の私たちは、コロナ禍に大きな衝撃を受け、精神的にも強く動揺させられている。そうであるがゆえに、ついつい現状のなかに、変化の「芽」を“過剰に”読み込んでしまいがちにもなるはずである。後から振りかえれば、それが、かなり“恣意的な”解釈であったことが判明することもありうるのである。要は、ここでの意図としては、<短期>と<中・長期>という複眼的な時間軸を設定することで、こうした点に対して十分に自覚的になることをねらいとしている。

2019年の就活解禁日には、企業の話を聞こうと多くの学生が集まった=2019年3月1日福岡市中央区のヤフオクドーム拡大2019年の就活解禁日には、企業の話を聞こうと多くの学生が集まった=2019年3月1日福岡市中央区のヤフオクドーム

「with/afterコロナ」という言説

 いま述べたことは、敷衍すれば、以下のことにもつながる。

 現在、メディアにおいては、にわかに「withコロナ」や「afterコロナ」を語る言説が大流行である。その含意は、私たちの社会が、新型コロナと共存し、その終息を迎えられるためには、「新しい生活様式」や「新しい日常」「ニューノーマル」が求められる、つまりは、afterコロナの社会は、けっして元あった社会には戻らず、そこには新たな意識や行動、価値観が生まれ、根づいているはずだという想定なのであろう。

 もちろん、言わんとすることは、理解できる。しかし、正直に言って、少々ナイーブすぎはしないか。試みに、東日本大震災が起きた直後の私たちの社会のありようを想起してみればよい。あの時(3.11後)、メディアを含めて誰もが、あれだけの災禍を経験したのだから、日本の社会はもう元には戻らない、新たな生活感覚や価値志向が根づいていくにちがいないと考えたのではなかったか。

 では、10年後の今、社会はどうなったのか。日本社会の姿、私たちの日常や価値観は、根本のところで、震災以前といったいどこが変わったのだろうか。「風化」という言葉を安易には使いたくないが、しかし、震災以前の日常が、“ものの見事に”復活していたのではなかったか。

 もちろん、社会全体としての支配的な構造は変わらなくとも、確実な「変化」が刻まれた痕跡は、私たちの社会の随所に点在しているだろう。震災を契機に、ライフスタイルを変え、生き方を変えたという個人も、けっして少なくなく存在している。そうした変化の「徴」をていねいに見つめ、掘り起こしていく必要はある。しかし、同時に、そうした作業に向きあう際に重要なのは、私たちが望ましいと思うような「変化」は、どんなに甚大な災禍を経て、どれだけの動揺を私たちが経験したとしても、けっして“自動的には”生まれてこないという、当たり前の事実の確認であろう。


筆者

児美川孝一郎

児美川孝一郎(こみかわ・こういちろう) 法政大学キャリアデザイン学部教授

1963年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を経て、1996年より法政大学に勤務。2006年より現職。専攻は、教育学(キャリア教育、青年期教育)。日本教育学会理事、日本教育政策学会理事。主な著書に、『若者はなぜ「就職」できなくなったのか』(日本図書センター)『キャリア教育のウソ』(ちくまプリマー新書)『まず教育論から変えよう』(太郎次郎社エディタス)『夢があふれる社会に未来はあるか』(ベスト新書)『高校教育の新しいかたち』(泉文堂)など。 @Komikawa_1963(twitter) https://www.facebook.com/koichiro.komikawa

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです