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被爆3世を撮る(3)なぜ平和教育は陳腐化するのか

益田美樹 フリーライター、ジャーナリスト

 戦争を経験した世代の高齢化が進む。家族からミクロな戦争記憶を繋いでいくための、残り時間は多くない。戦争体験を3世に引き継ぐ活動を過去2回の記事(『被爆3世を撮る(1)戦後75年の夏、広島で』『被爆3世を撮る(2)家族の戦争体験を「わがこと」に』)で報告してきた。最終回は、歴史教育が専門の今野日出晴・岩手大学教育学部教授に、家族内で戦争体験を継承することの難しさ、大切さについて語ってもらった。

今野日出晴・岩手大学教育学部教授。取材はZoom

 ――戦後の平和教育おいて「家族内での戦争体験の継承」はどのような位置づけであり、どのような役割を果たしてきたのでしょうか。

 「“家族内での”と限ると、回答はとても難しくなります。学校教育や、博物館・資料館を使う社会教育とも違う。家庭教育の範疇で考えると、戦争体験に全く関心のない家庭もあるし、深刻な体験を持つがゆえに沈黙している家庭もあります。どちらも、家庭で戦争体験が話題にならないのは同じですが、その意味は全く異なっています。ですから、“家庭内での”という問題設定がどれほど有効なのかについて、平和教育の方法論としては、これまで議論がなかったと思います」

 「子どもが祖父母の体験を聞くという“場”が、自然にできるということは滅多にないでしょう。戦争体験を家族から聞いてきてください、と学校から課題が設定されれば、そういう“場”が立ち上がってくる。課題が設定されない場合は、外からはうかがい知れない。いずれにしても、家庭内での継承は、調査・検証の方法も見えません。それほど回答が難しい問題なのです」

 家庭内での戦争の記憶をどう考えればいいのか。今野教授は、1960年代末のドイツが参考になるという。「68年世代」が起こした学生運動。戦争責任も問うた活動である。

 「ドイツの青年たちは、自分の父母に戦争責任を問うたんです。なぜ、ナチスに協力したのか、と。家族の戦争責任を問う行為は、日本では極めて起こりにくいでしょうし、実際、それが大きな動きになることはありませんでした」

聞いた側の「当事者性」こそ

 ――家族内での戦争体験の継承。その現状をどう見ていますか。

 「相対的に見れば、家族内で戦争が話題になることは、少なくなっているでしょう。戦争体験者の高齢化が一番の要因です。例えば、エージェント(戦争の話を聞かせてくれた相手)について、京都教育大の村上登司文教授は、東京と京都、広島、那覇の中学生2年生を対象に調査を実施したことがあります。どんな結果になったか。祖父母(曾祖父母)からの割合が、那覇は他地域で比べて高い。2016年時点で40%ぐらいでした」

カメラマン堂畝紘子さんの写真。写真展「生きて、繋いで ―被爆三世の家族写真―」から。被爆者やその孫世代も収まっている

 沖縄でも家族から直接聞く割合は減ってきた。高校2年生を対象にした2020年のアンケートでは、沖縄戦について話してくれる家族や親族がいないと答えた生徒は52.2%に達した。半数超えは初めてだったという。広島の調査でも、「原爆が投下された時の様子を誰から聞いたか」という問いに対し、「家族」の割合は減少が著しい。調査開始の1968年には63.7%だったのに、2011年は31.4%にまで減った。

 「ただし、割合が減っているとはいえ、家族間では、父や母、祖父母、曾祖父母というつながりの中で、体験を聞いた子や孫に当事者性が立ち上がることがある。それが今、体験の継承という問題では、とても大事な要素になっているんですね。逆に言うと、学校の平和教育が陳腐化・形骸化している現状があるわけです。子どもたちにとっての平和教育が『また同じ話を聞くのか』みたいになっている。気持ちの悪いものは見たくない、『自分とは関係ないもの』にしたいという気持ちが強くなっています」

 「かつては教師自身が被爆者という切実さの中で、授業を組み立てていました。だから、切実さを、授業の中でも再現し得た。現在は状況が違います。だからこそ、家族が持っている戦争体験の意味は大きい。家族の話だから、人の心を動かす可能性も高いと言えるでしょう」

「トラウマ感染」を乗り越えられるか

――戦争体験者を直接知る世代が今、考えるべきことは何でしょうか。

 「家族内での戦争体験の継承には、問題もあります。戦争体験は個別的、主観的ですから、一般化しにくいという難点がまずあります。また、加害体験はあまり語られない。実際、『戦争は痛快だった』という体験者の声もあったはずですが、戦後は抑制されていた。いずれにしても、個人の体験が家庭で語られる時には、バイアスがあるでしょう。それが、家庭内の記憶の継承の限界性です」

 大げさだったり、ある部分を糊塗したり。そうしたバイアスがあったとしても、家庭内の話である限り、史実と照らし合わせた検証はしにくい。

 「今考えるべきことは、こうした限界がありながらも、家族内の記憶の継承には、やはり意義がある、ということでしょう。受け継ぐ世代に当事者性が立ち上がることがあるからです」

広島平和記念資料館で=2019年8月(撮影:高田昌幸)

 「もう一つ、考えるべきことがあります。それはトラウマの問題。トラウマに感染しない限り、本当の体験は継承されないのではないか、と私は考えています。なぜ、平和教育が陳腐化するのかという議論にも関係します」

 虐待などの過酷な体験で起こるトラウマ。その体験を聞いた人が、語られた過酷な話をも受け止めるがゆえに、自分もトラウマで苦しむことになる、というのが「トラウマの感染」だ。

 「今はトラウマになってしまうのが嫌だという理由で、教育現場では、過酷な体験を見ない・見せない傾向がすごく強くなっている。人の心を揺り動かすようなもの、例えば、漫画『はだしのゲン』や、広島平和記念資料館の被爆人形がそうです。しかし、本当の継承とは、トラウマ感染を経て、自分でその危機をくぐり抜け、体験の意味付けをしていくことなんです。それが戦争体験継承の核心ではないかと思います」

 「家族の中で体験を聞くと、トラウマ感染を乗り越えることができないかもしれません。他方、次世代に一定の情報伝達を繰り返すことが継承とイコールでもありません。では、どうやって戦争体験を継承していくのか。聞いた体験を自分で意味付けしていくことが重要なんです。つまり、主体性を抜きにして、この問題は考えられないのです」(おわり)

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