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「観光資源化」するアイヌ民族の歴史に、なぜ歯がゆさを感じるのか

「民族共生象徴空間」開館から1カ月、私たちが突きつけられていること

田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

ウポポイのPRキャラクター「トゥレッポん」との交流イベント=筆者提供拡大ウポポイのPRキャラクター「トゥレッポん」との交流イベント=筆者提供

「旧土人児童教育規定」校の跡地で

 筆者は、北海道旭川市にある北門中学校の出身である。

 当該地区は、「近文(ちかぶみ)アイヌ」が多く住んでいる地区として知られている。近文とはアイヌ語の「チカプニ」(鳥がいるところ)に由来する地名で、旭川市の西側に位置する。その近文地区に建てられた上川第五尋常小学校(その後、豊栄小学校と改名される)の跡地に設置されたのが北門中学校である。

 上川第五尋常小学校は、アイヌのみを分離し通学させる「旧土人児童教育規定」に伴い設置された学校だった。

 同地は、『アイヌ神謡集』の編訳者の知里幸恵の出身地であり、筆者自身「知里幸恵生誕祭」にも生徒会長として参加した経験がある。アイヌの祈りの儀式「カムイノミ」を執り行ったほか、「川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館」の館長の講話も聴いた記憶がある。また知里幸恵に黙とうを捧げたほか、彼女の代表的著作である『アイヌ神謡集』の一部(「銀の滴降る降るまわりに」)を合唱した。

北門中学校内の「郷土資料室」に展示されている写真=2018年1月、北海道旭川市、筆者提供拡大北門中学校内の「郷土資料室」に展示されている写真=2018年1月、北海道旭川市、筆者提供

 余談だが、同書は岩波書店から刊行されているが、なぜか「外国文学」の扱い=赤になっている。一方で沖縄最古の歌集とされる『おもろさうし』が日本文学の扱い=黄色になっていることに鑑みると、植民地主義の歴史に敏感でなければならないはずの出版界ですら琉球・アイヌ文化をいかにぞんざいに扱ってきたのかが伺える。

 本題に戻ろう。「旧土人児童教育規定」では、どのような教育が行われていたのだろうか。新谷行『アイヌ民族抵抗史』によれば、平取町の「旧土人学校」で教育を受けた貝沢正は、以下のように回想していたという。

 明治三十二年、『旧土人保護法』が制定され、旧土人学校となり、『旧土人児童教育規程』によって教育されたのが私達だった。六十人余の学童に老先生が一人。六学年の複式で大半は自習、始業も終業も先生の配合だけで一定の時間はない。天皇の写真に最敬礼することや教育勅語を中心とし、日本人がいかに優れた民族であるかをシサムの先生によってくり返しくり返し、たたき込まれた(注1)

 教育現場では「日本人」と「旧土人」は徹底的に分離され(アパルトヘイト=人種隔離政策である!)、「旧土人」に対しては皇民化教育を押し付けるかわりに、十分な学修環境を認めなかったのである。これを「差別」と呼ばずしていかに形容できるのだろうか。

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筆者

田中駿介

田中駿介(たなかしゅんすけ) 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

1997年、北海道旭川市生まれ。かつて「土人部落」と呼ばれた地で中学時代を過ごし、社会問題に目覚める。高校時代、政治について考える勉強合宿を企画。専攻は政治学。慶大「小泉信三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞。twitter: @tanakashunsuk

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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