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災禍と元号

 新型コロナウイルスの感染が収束しない。グローバル化した世界で、この感染症が社会の価値観に与える影響は大きい。過去、様々な災禍が起き、世界や日本の歴史に影響を与えてきた。しかし、過去の災禍についての資料は十分ではない。古文書が豊富に残る日本でも、災禍についてのまとまった資料は多くない。

 日本は西暦645年の大化以降、南北朝に分かれた時期も含めて、248の元号を持っている。明治政府が編纂した古事類苑には、改元理由がまとめられおり、災禍との関りも記述されている。そこで、古事類苑に記された改元理由について整理をしてみた。

拡大StreetVJ / Shutterstock.com

4つの改元理由

 日本の元号は、1868年に出された「一世一元の詔」以降は、天皇が退位した時のみに改元されるようになったが、江戸以前には、代始改元に加え、祥瑞改元、災異改元、革年改元が行われていた。

 代始改元は天皇の交代によるもの、祥瑞改元は吉事を理由とするもの、災異改元は凶事の影響を断ち切るためのもの、革年改元とは、政治変革が起きやすいといわれる辛酉と甲子の年に行う革命改元と革令改元のことをいう。248の改元理由を4種類に分類すると図1のようになる(改元理由が明快でないもの、複数にわたるものもある)。ただし、初期の654年~686年は、政権の混乱のためか元号が定められていない。

拡大図1 4つの改元理由

 明治以降は代始改元だけなので改元回数は少ないが、平安後期から鎌倉時代にかけては2~3年に1度改元していた。

 祥瑞改元は887年に改元した元慶まで18~19回行われ、それ以降はない。祥瑞改元による元号には、白雉、朱鳥、宝、亀、天、慶など、祥瑞の出来事に関係する縁起の良い漢字が用いられてる。大化の改新後、政権の力を誇示するために祥瑞を利用したとも思われる。

 これに対し、革年改元は901年に改元した延喜以降、辛酉、甲子の年に行われてきた。基本的に60年に2度あり、967年間に渡って革年改元が続けられたので、32回を数える。代始改元は80回強あり、明治以降は代始改元だけになった。年代による差から、天皇の在位期間の変化が分かる。本稿で注目する災異改元は938年天慶地震によって改元した938年の天慶以降、120回程度あり、改元理由の約半数を占める。災異改元数の時代変化は他に比べ大きい。


筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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