災異改元にみる災禍の歴史
災異改元に関係した災禍には、地震、干ばつ、風水害、飢饉、大火、疫病、兵乱などがある。年代別に見た災禍の種類の変遷を図2に示す。改元には複数の災禍が原因することが多いので、合計数は、災異改元数よりも多い。
例えば、棒グラフの伸びが大きい1200年前後の世相を描いた鴨長明による随筆「方丈記」には、1177年の安元の大火、1180年の治承の辻風、1181年の養和の飢饉、1185年8月13日の文治地震等の様子が記されている。治承の辻風以外の災害の後には、災異改元が行われており、安元の大火の後には安元から治承、養和の飢饉の翌年には養和から寿永、文治地震の後には元暦から文治に改元している。

図2 災異改元
疫病や気象災害、飢饉による改元
図2を見ると、900年~1400年代にかけては、疫病が多い。とくに、1100年代から1300年代の改元理由を詳細に見ていくと、気候変動によって干ばつや冷害、風水害が発生し、それによって農作物が凶作になって飢饉が起き、そのことも原因して疫病が発生しているように見える。
例えば、飢饉による改元には、養和の飢饉に加え、1230~31年の寛喜の飢饉の翌年の寛喜から貞永、1258年正嘉の飢饉の翌年の正嘉から正元、1459~1461年の長禄・寛正の飢饉のときの長禄から寛正への改元などがあるが、それぞれ、風水害、疫病、干ばつも飢饉と共に改元理由に加えられている。
戦乱による改元
1300年代から1500年代と1800年代は、兵革による改元が多く、社会が安定していた平安前中期や江戸前中期は少ない。とくに1467年応仁の乱前後から1573年小谷城の戦いなどで改元した天正までの間は、改元理由のほとんどが戦乱によるものになっている。
例えば、1455~83年の享徳の乱の時には享徳から康正に、1467年応仁の乱のときには文正から応仁に改元している。その後、江戸になっても、1615年大坂夏の陣の後、天皇退位もあり文禄から元和に改元している。また、幕末には、1860年桜田門外の変の年の安政から万延や、1864年の禁門の変や蛤御門の変の翌年の元治から慶応への改元がある。