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火災による改元

 江戸時代は平和な社会だったためか、1600年代から1700年代には災異改元の数が激減している。江戸などの大都市に家屋が密集したためか、改元理由の多くは火災である。最も大きな火災は、1657年3月2日の明暦の大火で10万人を超える死者が出たが、翌年には明暦から万治に改元している。

 また、江戸の三大大火の一つの1772年4月1日明和の大火の後には、天皇の退位も重なって、明和から安永に改元している。この年は明和9年だったこともあり、「明和九年」と「迷惑年」のごろ合わせもあったようである。その他にも、京都の内裏の火災や江戸城の火災などが原因の改元もある。

地震による改元

拡大安政南海地震による津波で残った蔵の内壁を保存した「かめや板壁」。災害の記録や津波への備えが記されている=2018年9月3日、和歌山県印南町

 地震による改元も多い。例えば、南海トラフ地震との関わりがある改元には、1096年12月17日永長東海地震の翌年の嘉保から永長、1099年2月22日康和南海地震のときの承徳から康和、1361年8月3日正平・康安地震の翌年の北朝の元号の康安から貞治などがある。1854年(嘉永7年)には12月23日安政東海地震、24日安政南海地震があり、黒船来航による日米和親条約の締結(3月31日)も関わり嘉永から安政へ改元された。地震が起きたのは嘉永年間だが、2つの地震をきっかけに安政となったため、のち安政地震と呼ばれている。

 また、関東地震に関係する改元には、1293年5月27日永仁関東地震のときの正応から永仁、1703年12月31日元禄地震の翌年の元禄から宝永がある。他にも、伏見城などが大きな被害を出した1596年9月5日慶長伏見地震の後には、文禄から慶長に改元している。

 筆者は、地震工学を専門とし、改元や歴史とはあまり縁がなかったが、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、過去を学ぶ機会を得た。その中で、古事類苑を見つけ、改元理由を通して過去の災禍を見てみた。おかげで、過去の災禍が与えた社会への影響の大きさを感じることができたので、ここでも報告させていただいた。


筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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