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高知東生さんが語る覚醒剤、亡き母、そして人生のこと

生い立ち、薬物依存症について発信。ツイッター配信のドラマにも出演。いま何を思う

田中聡子 朝日新聞オピニオン編集部記者

今も引きずっている母への最後の言葉

――それが最後の思い出になってしまったのでしょうか。

 寮に戻ってから数日後、突然お袋がやってきたんです。「大学に入って欲しい」「任侠だけは絶対にだめだ」って。俺はまさかお袋がそんなこと考えているなんて思わなかった。「今日中に決めてくれ」って言うもんで、「就職するよ」って伝えたら、うれしそうになって。

 別れ際に車から降りようとしたら、「あたし、キレイかな」って言うんです。俺は「バカ言ってんじゃねーよ」って。振り返ると、お袋は笑いながら涙を流して、手を振ってた。その2時間後に、母は自死しました。

――「バカ言ってんじゃねーよ」が最後の言葉だったんですね。

 今でも引きずっています。あの時、「キレイだよ」と言ったら生きていたかもしれない。大嫌いだった母親への恨みがようやく解けたと思えた時になんで、という思いもずっとあります。当時はただ啞然(あぜん)として、現実だと思えなかった。

 お袋の死に涙を流せたのは、40を過ぎてからです。あの時の孤独感。突然一人になったというあの感覚。忘れられません、「生きている意味があるのか」と思いました。

拡大高知東生さん=杉本康弘撮影

地獄のような毎日だった2年間

――2回目の「最大の危機」が逮捕されたことでしょうか。

 逮捕されたことそのものというよりも、その後がつらかった。自業自得ですが、裁判で執行猶予をもらって、それから2年ぐらいが地獄のような毎日でした。マスコミからバッシングされ、友達や仲間だと思っていた人たちも離れていきました。当たり前のことです。俺だって逆の立場だったら、そうしたかもしれない。

 自分の裏切りで家族も失った。経営していた店を整理したり、スタッフの再就職先を探したり。あちこちに頭を下げにも行きました。必死でいろいろなことを終えた時、待っていたのが孤独でした。

――俳優復帰を考えていたのですか?

 まったく頭になかった。でも、生活はしなければいけない。中には「うちで働けよ」って手をさしのべてくれる人もいたけど

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筆者

田中聡子

田中聡子(たなか・さとこ) 朝日新聞オピニオン編集部記者

2006年、朝日新聞社入社。盛岡総局、甲府総局、東京本社地域報道部、文化くらし報道部を経て、20年からオピニオン編集部。PTA、二分の一成人式などの教育現場の問題のほか、自治会など地域コミュニティーへの動員などについて取材している。

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