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かつての大根の名所、東京・練馬の農業ルネサンス

武田徹 評論家

きっかけは五代将軍綱吉の脚気から?

 そんな大根がなぜ練馬の名を冠するようになったか。一説によると、きっかけは五代将軍綱吉の病気だったという。まだ上野館林藩主で松平右馬頭と名乗っていた頃、脚気を患った綱吉は陰陽師に相談したところ、「江戸城西北の“馬”の字がつく地名の場所で養生するように」と告げられた。そこで綱吉は下練馬に御殿を建てて移り住む。その地で綱吉は尾張名産の大根の種を取り寄せ、作らせたという。尾張では奈良時代の後期から大根が多く作られていたのだ。

 方領大根、宮重大根と呼ばれた尾張の大根が練馬に持ち込まれ、土地の地大根と交雑して1メートルと大きく育つ品種となる。火山灰土が深く積もった柔らかい土壌だった練馬で大根はよく育ち、また引き抜きやすかった。これが練馬大根のルーツとなる(大竹道茂『江戸東京野菜の物語――伝統野菜でまちおこし』平凡社新書)。

 元禄には青物市場が神田に設けられ、幕府への上納品を扱う青物役所も設けられたが、大根に関しては練馬産と指定されていたという(練馬区教育委員会社会教育課郷土資料室編『練馬大根』)。元禄の『本朝食鑑』や亨保の『食物知新』にも練馬大根の紹介がある。この頃には地域のブランド野菜となっていたのだ。

 では、なぜ綱吉が大根栽培を求めたのか。沢庵がおそらく関係している。

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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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