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敵・味方を峻別する安倍政治にからめとられたメディアの見るに堪えない姿

安倍政治に敗北したメディア(上)責任は保守系とリベラル系メディアの双方にある

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

 新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、安倍晋三首相(65)は8月28日夕、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に辞任を表明した。第2次安倍政権は憲政史上最長の7年8カ月、「安倍一強」といわれた長期政権であったが、任期途中のあっけない幕切れとなった。

首相官邸に入る安倍晋三首相=2020年8月31日午前9時41分

 安倍氏が自民党総裁に返り咲いてから約8年。衆院選3回、参院選3回と国政選挙で6連勝をつづけてきた。「選挙の強さ」が長期政権の原動力となったと考えられるが、その敵と味方を峻別する分断対決型の政治手法は、修復不可能なほどにメディアと社会を切り裂くこととなった。

 結論から先にいえば、安倍政治にメディアは敗北としたといえよう。ならば、ポスト安倍政治においては、この荒れた言論と社会状況を立て直す必要がある。「安倍政治とメディア」の関係を振りかえりつつ考えたい。

単独記者会見方式を採用した第2次安倍政権

 第1次安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げるイデオロギー色の強い政権で、短命に終わった。第2次安倍政権は、民主党政権をふくめて1年前後の短命首相が6代つづいた後、2012年12月に誕生。発足後最初の選挙となった翌13年の参院選で、衆参の多数派が異なる「ねじれ」状態を解消し、「安倍一強」の基盤を固めた。

 発足当初からメディア対策に長(た)けた政権であった。

 従来、首相との記者会見は、内閣記者会が主催する共同記者会見方式をとってきた。首相は国内メディアとは単独で会見しないとうのが、不文律であった。それが第2次安倍政権になって変わった。単独記者会見方式が採られることになったのである。

特定のメディアに偏った首相のインタビュー

 報道各社が首相とサシで会見できるというのは、見方によれば民主的である。しかし、これはなかなかの曲者(くせもの)だ。単独会見の相手(新聞社、放送局)と時期を設定するのは、首相や首相官邸の判断になるからだ。

 別の言い方をすれば、「官邸官僚」と呼ばれる首相補佐官らが、時期を見計らいながら調整し、首相の思いを大きくアピールできることになる。実に巧みなメディア戦略であるとともに、メディアの分断にもひと役買うこととなった。

 たとえば、安倍首相は読売新聞との単独インタビューで憲法をテーマに縦横に語り、同紙2013年4月16日朝刊で「憲法96条をまず見直そう」と訴えた。96条の先行改正は憲法改正のハードルを下げるものだが、読売はこの日、1面と4面を使ってインタビュー概要を伝えた。

 翌17日朝刊では政治面で連載「憲法考 改正の論点」をはじめ、社説では全面的に安倍首相の考えを支持した。このように読売は2日間にわたって、改憲をめぐり、たいへんインパクトの強い紙面をつくったわけだ。

 この単独会見方式は、恣意的ではあるものの当初は新聞、放送各社ともに均等に回していた。しかし、この原則はほどなく崩れ、首相と近いメディアにインタビューの機会が偏った。過度のメディア選別のはじまりで、その結果、報道機関が分断され、亀裂が走ることとなった。

日本テレビ系の情報番組「スッキリ!!」でインタビューを受ける安倍首相(2013年4月18日放送分)から

「NEWS23」で語気を強めた安倍首相

 安倍首相は、報道への介入ともとれる発言をしばしばおこなった。

 「多弱」の野党を不意打ちするかのように衆院解散を表明した2014年11月18日夜のことだ。首相はTBS系「NEWS23」に生出演し、リラックスした表情で岸井成格アンカーらの質問に答えていた。

 ところが、番組途中で街頭インタビューがVTRで流され、安倍政権の経済政策について否定的な意見や感想が語られると、首相はにわかに気色ばみ、「おかしいじゃないですか」と岸井氏らを問い詰めた。VTRにはアベノミクスに肯定的な声が入っていたにもかかわらず、安倍首相は偏向報道といわんばかりに語気を強めたのである。

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