政権が掲げる包摂的なスローガンに、なぜ違和感を覚えるのか
2020年09月03日
安倍晋三首相が辞任表明をしたニュース速報が流れたちょうどそのとき、筆者は都内の区役所にいた。旧知の知人の生活保護申請の手助けをするためだ。
当初、彼女に応対した職員は、典型的な「水際作戦」を行ったという。そこで、福祉関係に詳しい男性と一緒に訪問して丁寧に状況を説明したところ、申請にこぎつけることができた。
途中、相談ブースの声が漏れ聞こえてきた。ここで詳しく書くことはしない。しかし垣間見えてきたのは、あたかも脅すような口調で相談者に迫る職員、敬語すらまともに使えないで追い払おうとする職員……。彼らに応対される人々は、あきらかに現代の社会に「見捨てられている」のであった。
困窮者の最後のセーフティーネットは、まぎれもなく行政である。「行政の長」である首相に、彼らの声が届いていたのだろうか。
経済政策「アベノミクス」の恩恵を受けることができた人々にとって、新自由主義(ネオリベ)体制のもとで苦境に立たされた人々の存在は「不可視化」されているのではないか――そう思わずにはいられなかった。
安倍政権は「分断」を生み出すことで、長期政権を可能にしたのである。
「1億総活躍社会」「人づくり革命」。これらは安倍政権が打ち出してきたスローガンである。一見すると、女性や障害のある人が社会に参画しやすくなるよう、障壁を取り除いていくことなど、包摂的な社会をめざす姿勢を示したかのようにみえる。
しかしその掛け声とは裏腹に、実際に行われた政策は正反対のものだった。第2次安倍政権の発足以降、2回にわたり(2013年、2019年)生活保護費は削減された。
しかも安倍首相は、所信表明演説のなかで「格差の固定化は、決してあってはならない。貧困の連鎖を断ち切らなければなりません」(2018年1月の第196回国会施政方針演説)と言いながら、直後に「公平性の観点から給付額を見直す」などと主張したのである。
それだけではない。自ら生活保護額の切り下げを行いながら
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