安倍政治に敗北したメディア(下)安倍政治のメディア操作で分断された末に起きたこと
2020年09月02日
敵・味方を峻別する安倍政治にからめとられたメディアの見るに堪えない姿/安倍政治に敗北したメディア(上)
安倍首相の「歴史認識」と「愛国」へのアプローチの報じ方に今なお残る悔い/安倍政治に敗北したメディア(中)
安倍晋三首相(自民党総裁)の辞任表明以降、後任の総裁を選ぶ動きが活発化している。連載「安倍政治に敗北したメディア」の最終回は、「ポスト安倍」の政権をも見据え、「権力と報道の距離」の問題について考えたい。
安倍政治の巧みなメディア操作によって報道機関が分断されたことについて、「安倍政治に敗北したメディア(上)」「安倍政治に敗北したメディア(中)」で縷々触れてきた。その結果、何が起きたのか? なにより深刻なのは、ジャーナリズムの要諦(ようてい)である権力監視の役割が十分に果たせなくなったことである。いわば、権力に報道が取り込まれていったのである。
そんななか、長期政権の驕(おご)りとしかいいようがない公文書の改ざんというあり得ないことがおきた。森友・加計学園問題や「桜を見る会」の疑惑についても、国民に納得がいく説明はいまもってされていない。新型コロナウイルス対策は後手に回り、失策つづきである。
ジャーナリズムは安倍政権下で何をしてきたのか。安倍政治の単なる広報機関だったのか。安倍政治が幕を閉じるにあたり、報道のあり方もまた厳しく問われている。
今年5月、黒川弘務・前東京高検検事長は新型コロナウイルスが感染拡大するなか、新聞記者らと賭けマージャンをし、それが発覚したことで辞職した。黒川氏は安倍政権による脱法的な法解釈変更で、定年延長していた。
内閣法制局長官、日銀総裁、NHK会長など、安倍政権は独立性がきわめて重んじられる要所の人事を恣意(しい)的に行なってきた。黒川氏の定年延長も、検察ナンバーワンである検事総長への布石といわれ、「官邸の守護神」と揶揄された。
検事長が、コロナ禍による緊急事態のなか、賭けマージャンに興じるのは言語道断だ。黒川氏のお相手を常習的にしていた産経新聞の社会部記者2人と朝日新聞の元司法担当記者は、どうなのか。
両紙とも「極めて不適切な行為」とし、産経は記者2人を取材部門から、朝日は元記者を役職からはずしたうえで、それぞれ停職1カ月とした。おわび記事(いずれも2020年5月22日朝刊)をみると、産経は「取材対象に肉薄することは記者の重要な活動」として自社記者をかばうかのような記事を書いた。
しかし、ここで語るべきは、「権力と報道の距離」の問題ではないか。これについて、両紙のおわび記事ではほとんど触れられていない。権力と距離を保つことは、報道倫理の最重要事項のひとつである。
問題は、産経は取材対象に肉薄し、特ダネや独自ダネを書いたのか、ということだ。黒川氏が検事長時代に指揮をとった総合型リゾート(IR)の汚職報道は、自民党議員(現在は離党)の逮捕者もでたが、読売新聞がリードしていた。
最前線の記者の苦労はわかる。「きれい事ではすまされない」という声も聞こえる。しかし、理想と現実の狭間で闘うことも、記者の役割ではないか。
ここで「権力と報道の距離」について、あらためて考えたい。
読売は昨年末から年始にかけて、IR汚職報道で確かに精彩を放った。一方で、権力との距離の近さもしばしば指摘されてきた。第2次安倍政権発足後のきわめつけは、憲法施行70周年にあたる2017年、安倍首相に単独インタビューして憲法改正について縦横に語らせ、憲法記念日の5月3日に特大記事を載せたことだ。
改憲という国家の根幹をなす重要テーマは、オープンな場で記者会見し、多様な質問を受けるのが、まっとうな対応だろう。その後、野党議員が衆院予算委で安倍首相に改憲発言の真意をただすと、「自民党総裁としての考えは読売新聞に相当詳しく書いてある。ぜひ熟読してほしい」と安倍首相は答えた。
国会で説明を求められ、「新聞を読んでくれ」とは、前代未聞の答弁である。安倍首相(権力)と読売新聞(報道)の距離が厳しく問われる場面であった。
慶応大学教授の鈴木秀美氏(憲法、メディア法)は、
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