公助をもって国民の生活を守るのでなければ、もはや国はその存在意義を失う
2020年09月16日
9月14日に自民党内での総裁選挙が行われ、菅義偉氏が選出された。この記事が出るころには、菅総理大臣が誕生しているのだろうから、以下菅総理大臣と記す。
菅総理大臣は「安倍政権を継承する」と言っているので、菅政権の下ではこれまでどおり景気は上がらず、格差は拡大し、公文書は改竄や破棄が当たり前となり、公金は身内びいきで動いて、世界的にも日本の社会的地位は縮小していく。そんな安倍政権の暗部をそのまま引き継ぐこととなるだろう。要はまた「悪夢の自民党政権」が続くだけのことだ。
さて、菅総理大臣は目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」であると言っている。
この「自助・共助・公助」という言葉、本来は災害の場面で使われる言葉である。まずは避難用具をそろえたり、津波などから自力で逃げて、避難所などの安全なところまで移動するのが自助、避難所などの集まりで、お互いに助け合うのが共助、そして最後に災害派遣や物資の支給などの消防や自衛隊などといった行政に頼るのが公助である。
つまり、災害発生から行政が間に入るまでの数時間から数日間を生き延びるために行うのが「自助、共助」であり、それは最終的に公助につなぐための一時的な状況に過ぎないのである。
一方で、緊急事態ではない日常では、我々は否応なく「公助」の状態に置かれるのが基本である。我々は行政が国民に対してさまざまなサービスを提供するということを前提に生活をしている。
我々は民主主義国家に生まれた以上、権利をもって平等を敷くという、そうした約束の下に生活しているのであり、それを前提として民主主義国家というものは成り立っているのである。
もし、あなたが「俺は財産をたくさん蓄えているから、政府の助けなど無くとも生活できる」と考えているなら、それは大きな間違いである。あなたは確実に政府の助けの下に生活をしているのであり、あなたが豊かなことは、自助の成果などではない。
あなたのその「生活できる」という言葉の根拠である財産は、法律によって法的に、暴力装置によって物理的に守られている。だからこそ、あなたは財産を奪われる心配をさほどせずに生活できているのであって、それ自体がすでに公助の内なのである。
結局のところ、福祉国家を目指そうが夜警国家を目指そうが、いずれにしても民主主義国家である以上は政府の行うことは一貫して公助であり、我々市民は公助を受けながら生きているのである。それが民主主義国家に暮らすことの大前提なのである。我々は誰一人として公助の傘から抜けることはできないのである。
ところが、菅総理大臣は公助を否定する。「公助を並べているから否定ではないだろう」と思う人もいるかもしれないが、国は公助をするために存在するのだから、公助以外の選択肢を並べ立てた時点で公助の否定と言っていい。
一番わかりやすい例が、2016年に安倍総理(当時)の名前で内閣府から出された「日本の未来を担うみなさんへ」と題された文書である。この文書には「あなたが夢をかなえ、活躍することを応援しています。」と書いてあるものの、具体的な政策は一切書かれておらず、
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