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今さらながら、自転車にバックミラー装着義務付けを

⾃転⾞は「21世紀の持続可能な成⻑」の⼿段ではない

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 コロナ禍を機に自転車通勤が増えたという。コロナで新たに自転車通勤を始めた人は23.0%、理由は「公共交通機関を避ける」95.7%、「運動不足解消」44.3%。コロナ感染リスク低下を「感じる」60.8%「やや感じる」27.2%、勤務先から推奨された人が32.0%、今後広がっていくと「思う」33.4%「やや思う」45.6%、だという(2020.06 au損保調べ 総数500人)。

 筆者宅の地元で自動車と並走しようと頑張る通勤の自転車も、都心部のわき道から急に飛び出すUber Eatsの自転車も、多く見かけるようになった。それで古臭いが長らく解決されていない問題の再浮上を感じ、筆をとった。

拡大配達の⾃転⾞を取り締まる愛知県警の交通機動隊員=2020年9⽉10⽇、名古屋市

⽇本国⺠は⾃転⾞をナメている

 結論を先に記す。日本国民は、そして報道する者、有識を語る者は、自転車をナメている。かいかぶりすぎている。そしてわかっていない。日本での自転車とは、安全面、経済面、健康や環境問題を語る面、すべてにおいて深刻で危険で難しい道具だ、その難しさは自動車と何ら変わりない、という認識でつきあうべきである。

 まず安全面。自転車は日本の道路交通法体系とその運用において、長らく伏魔殿になっている。自転車とは歩行者ではなく「車両」であり、課される安全運転の義務と損害賠償責任は自動車と何ら変わりない。警察の近年の方針「自転車はクルマ」として歩道から原則排除したことには一理あるが、その実施が中途半端になっていることが、事情を複雑にしている。

 SNS等のムーブメントを知らない筆者の感覚では、逆走や一旦停止無視当たり前の現状が市民自身の声として顧みられたことはついぞない。むしろ自転車側から見て「自動車は、歩行者は、我々に気をつけろ」という論調の印象である。そもそも信号付きの交差点を、自動車同様の注意力と法規順守をもって通過できる自転車ドライバーがどれほどいるのか疑問だ。もちろん交差点で自転車を降りて手で押す場合は「歩行者」なので「歩行者」としてふるまう必要がある。また、来たるべき自動運転(自動車)の普及にとって自転車は〝非自動運転車の混在〟とともに最大級の事故リスク要因でもある。自動運転車の設計と対応可能な道路の設計において、自転車に対する万全の対策が講じられているとは言い難い。

 次に経済面。原則として自動車走行のために設計されている日本の道路空間において、二輪車や自転車が車道を走ることは、実は経済的に非効率だ。自転車は実は走行時に事実上必要なタテヨコの面積を著しく占有し、それは自動車本体と大きく変わらないという学術的なデータを、根拠が手元になく恐縮だが昔見せてもらったことがある。横2m縦5mの四輪乗用車が細いセンターラインを挟んで時速数十kmですれ違い、警察の推奨はさておき実態は結構詰めた車間距離で多くの車が走行している。

 もちろん乗用車に乗っている人数(日本平均で1.3人/台という数字を、これも昔見たことがあるが出典不明)や荷物の量(空き荷状態走行時間50%を如何に下げるかが物流最適化の歴史だった)などの論点はあるが、自動車とさほど変わらない車間距離を必要とし、人間1人が背負う程度の荷物しか載せられず、坂道も含めた平均速度と航続距離で自動車に遠く及ばず、さらには自転車ロードレースで見る風景のようなタテヨコ車間距離を詰めて走る技術などほとんど誰も合わせていない。十分な車線幅がない道路で自動車の横数十cmを通る自転車は、どちらの運転手にとっても冷や冷やものだ。

 しかしそうした自転車が歩道を走ることは原則(緊急避難時以外は)許されない。自動二輪車(オートバイ)や原動機付自転車(原チャリ)は速度が出ることで安定し、四輪車同様に高速で精緻な操作が利く乗り物だと聞くが、この安定性は自転車にはない。自転車もいろいろ運転手もいろいろ、レーシング型サイクルの通勤青年と子連れの買い物ママチャリでは著しく〝走行性能〟が異なってくるという事態は、自動車ではほとんど起きない。日本の道路構造設計上、また都市デザインの長らくの思想上、今から自転車専用の車線を作れる場所など総延長130万kmの道路のほとんどどこにもない。それは国家百年の計で取り組んできてしまった事柄だ。何といっても雨天時や強風時は誰も自転車を運転したがらない。その波動需要を交通容量とくに通勤や買い物に対応する計画に織り込むのは経済の無駄だ。

 人力なのだから二酸化炭素の排出は少ないに決まっている。しかし人力がなしうる輸送量と航続距離と平均速度の限界を凌駕するエネルギー資源を用いて、移動時間短縮と経済規模拡大に直結させ、現代社会が築かれてきた事実を忘れてはならない。自転車は「21世紀の持続可能な成長」の手段ではない。

 人力で漕ぐのだから、健康にはいいに決まっている。しかしここで論じている自転車の主目的は高速大量移動であって、健康維持ではない。専用車道の未整備はもちろん、目的地の駐輪場も、かいた汗を流す設備も、企業側の制度化(時間管理、労災対応含む)も、定着にはほど遠い。

 以上の理想像は、少なくとも筆者の知る30年前から都市の将来像の各論として語られてきたことだが、〝自転車交通先にありきの理想郷〟は何も実現していない。平地限定、晴天・曇天時限定で、人力のみで移動速度と距離と数倍~十数倍にする、徒歩の強力化ツールではあり続け、スポーツ・レジャーの手段としても重要であり続ける。そのことは筆者も全面的に賛同する。本論は、それとは違う話をしている。

 長距離移動する恒常的・必需の交通手段として自転車を日本社会に現実的に位置付けるならば、自動二輪車(オートバイ)同様の機能と制約条件を持たねばならない。その自転車と、近所の徒歩支援ツールとしての自転車とは、別々の制度下で自由と責任を持たせたほうがよいだろう。

 その前者、とくにコロナ禍後も定着する通勤需要を自転車が満たす必要があるのなら、本来は運転免許制を、それも原付自転車(原チャリ)よりも難度の高い制度を、と言いたいところだがこれは割愛する。自転車の運転免許制が実現しなかったこれまでの実情を考えると、商品としての高速移動用自転車にその責任を満たせる機能を義務的に持たせ、消費者負担を一部政策的に補助するほうが実態に即しているだろう。

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筆者

倉沢鉄也

倉沢鉄也(くらさわ・てつや) 日鉄総研研究主幹

1969年生まれ。東大法学部卒。(株)電通総研、(株)日本総合研究所を経て2014年4月より現職。専門はメディアビジネス、自動車交通のIT化。ライフスタイルの変化などが政策やビジネスに与える影響について幅広く調査研究、提言を行う。著書に『ITSビジネスの処方箋』『ITSビジネスの未来地図』など。

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