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記者よ、権力に飼い慣らされるな。半沢直樹のごとく菅政権に立ち向かえ

安倍政治の「毒」によって麻痺していった言論を再生することが必要だ

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

安倍政治に敗北したメディア

 安倍政権の随所でみられた力ずくの政治手法は、大別すれば政策と知人への便宜という二つの側面でおこなわれた。

 政策面では、集団的自衛権の行使容認や検察官の定年延長など、本来は憲法や法律の改正が必要なものを、閣議で決めていった。さらに、沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設は地元の強い反対を排し、断行されている。

 国の根幹をなすエネルギー・原子力政策においても、東京電力福島第一原発の爆発事故で多くの住民の避難生活がつづくなか、反対を押し切って原発再稼働が進められた。

 一方、森友学園への国有地払い下げや加計学園の獣医学部新設、首相主催の「桜を見る会」へのおびただしい数の後援者招待などの疑惑は、「お友だち」優遇という「政治の私物化」の典型だろう。政権の敵と味方を分け、敵を徹底的に攻撃し、見方に便宜を図るという政治姿勢の行き着いた先ともいえる。

 自らの考えに近いメディアとそうでないメディアを選別する方法も、構図はまったく同じだ。こうした分断対決型の安倍政治にメディアはなすすべもなく敗北した。そう私は考えている。

 もちろん権力によるメディアの敗北はこれまでもあった。ただ、過去と様相が異なるのは、法の秩序をいとも簡単に損なっていく安倍政治による弊害が、政策や国民生活にまで多岐にわたったにもかかわらず、ジャーナリズムがそれをただす機能を発揮しなかったことだ。

 これは、為政者が権力を抑制的に行使してきた日本の戦後政治において特異な現象である。このままでいいはずはない。

「たたき上げ」人生に強烈な自負

拡大組閣から一夜明け、取材に応じる菅義偉首相=2020年9月17日午前8時39分、首相官邸

 では、菅首相と内閣、メディアに何をのぞむのか。

 まず、菅氏の経歴をたどる。1948年12月6日、新潟県秋ノ宮村(現在の湯沢市)の雪深い山間部のイチゴ農家の長男に生まれた菅氏は、秋田県立湯沢高校を卒業後、「人生を思い切り生きたい」と実家を飛び出して上京する。

 町工場や築地市場などで働き、法政大学法学部を卒業後、就職した電気通信設備会社で「世の中を動かしているのは政治だ」と気づき、地盤も看板もないなか政治家を志す。小此木彦三郎元通産相秘書、横浜市議(2期8年)を経て、1996年の衆院選に神奈川2区から立候補し初当選。現在8期。

 国会議員となった2000年、当時の森喜朗首相に退陣を求める「加藤の乱」に加わる。06年には党総裁選で安倍氏を支援し、第1次安倍政権で総務相として初入閣した。秋田県出身としては初の首相。派閥に属さず、国会議員に親族をもたない「無派閥・非世襲」議員が自民党から首相になるのは希有のことだ。

 まさしく「たたき上げ」の人生であり、並々ならない努力でそれを築き上げたという強烈な自負があるようだ。

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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

1958年大阪生まれ、関西大学法学部卒業。84年朝日新聞入社。写真部次長、アエラ・フォト・ディレクター、ジャーナリスト学校主任研究員などを経て、2016年に退社。新聞社時代は、ベルリンの壁崩壊など一連の東欧革命やソ連邦解体、中国、北朝鮮など共産圏の取材が多かった。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社)、『「朝日新聞」問題』『安倍官邸と新聞』(いずれも集英社)、『原爆と写真』(御茶の水書房)、共著に『新聞と戦争』(朝日新聞出版)など。

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