総括「記者クラブ」~権力とメディアの歪んだ関係(2)
2020年09月30日
権力とメディアの関係を考えるには、記者クラブ問題を避けて通れない。記者クラブの何がどう問題なのか。メディア関係者以外にも、できるだけ分かりやすくという狙いで、前回記事『「記者クラブ」10の問題/〈1〉情報へのアクセス特権〈2〉メディアの談合〈3〉権力への同調』から「記者クラブ 10の問題点」を書いている。今回は問題点の4から6である。
問題点4は、「記者個人ではなく、記者クラブが丸ごと権力と一体化していく」恐れがあるという点だ。
記者クラブ所属であっても、ジャーナリズムの本務である「権力チェック」を十分に実行している記者はいる。そうした記者活動を個々人が自在に実行できるのであれば、権力とメディアの関係はここまで歪まなかった。
なぜ、個々の記者は「権力監視」を実行しにくいのか。答えは明確だ。権力とメディアは半世紀以上もの歴史を通じ、記者クラブ制度をベースにして「組織と組織のウインウインの関係」を築いてしまったからだ。
少し古いエピソードだが、筆者が外務省記者クラブに所属していた2000年の出来事を紹介したい。新たにメンバーになったということで、外務省庁舎内の記者室に並ぶ「記者会見室」を使い、ちょっとしたセレモニーがあった。記者たちや外務省幹部に「よろしくお願いします」とあいさつし、主たる人たちもあいさつして歓談する内容である。机にはビールやおつまみ。聞けば、新入りや幹事社交代の際に開かれる恒例の行事だという。
セレモニーの冒頭、司会役だった外務省報道課の職員が直立不動で大声を張り上げた。
「ぜんせーい! ぜんせーい! ただ今からぜんせいを開始致しまーす!」
ぜんせい。漢字では「善政」と書く。本来は「民意に沿う良き政治」の意味だ。それが、なぜ、この場で発せられたのか、理解できなかった。しかし、筆者にとって本当の驚愕はその後にやってきた。
外務省の「ぜんせーい!」から10年ほどが過ぎた頃、東京・神田の古書店で『大本営記者日記』という書籍を購入した。あまりのおもしろさに、その後、Amazonでも買った。
その中に、12月8日の真珠湾攻撃に関する記述が出てくる。それが実に生々しい。海軍記者クラブで対米戦争の開始を知った記者たちは、異様な興奮状態で報道発表を取材し、会見終了後は海軍省幹部や将校にぶら下がり、報道担当者を追いかけ、記事をつくっていく。そういった喧騒が一段落すると、記者クラブの記者が大声を出したのだ。
おい、善政だ、善政だ、善政をやろう。ぜんせーい、ぜんせーい……。
アルバイトの男子にビールや寿司などの調達を頼み、やがてそれらがテーブルに並ぶ。将校らも顔を出して、酒を煽りながらの談義が延々と続くのである。
筆者が目の当たりにした「ぜんせーい」は、戦前から続く習わしだったのだ。最近の様子を聞くと、少なくとも防衛省・自衛隊の記者クラブでは、輪番制の幹事社交代などに際して今も「善政」が行われているという。
善政はある意味、「丸ごと一体化」の象徴であろう。では、ほかにはどんな事例があるのか。
中央省庁では、記者クラブ全体で「オフレコ懇談」という名の取材機会を設けている場合がある。メモも録音も原則禁止。他方、匿名なら引用OKが通例だ。
「オフ懇」の仕切りは当局側というケースが多く、広報担当者が「●時から局長のオフレコ懇談があります」などと各社の記者に声を掛けてくる。予定が記者室の黒板などに掲示されていることもあるほか、定例化している場合も少なくない。いわば、国民の目の届かないところで開催される「裏の記者会見」みたいな催しだ。
ある出来事の背景説明(バックグランド・ブリーフィング)の有用性は否定しないが、発言者を特定しないなら引用OKというオフ懇が多用されると、「関係者によると」「政府高官によると」といった情報源を明示しない報道が増えていく。記者会見の全容がネット中継されたとしても、これでは取材プロセスの「真の見える化」は進まない。
問題点の5つ目は、記者クラブ体制によってマスコミも「縦割り取材体制」に陥っている点である。
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