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「記者クラブ」10の問題〈10〉取材力の限りない劣化~決定権のない記者たち

総括「記者クラブ」~権力とメディアの歪んだ関係(完)

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

 権力とメディアの歪んだ関係の根っこには、戦前から続く「記者クラブ制度」が横たわっている。その認識に基づき、制度のどこに問題があるのかを10に絞って整理し、これまでの記事で問題点の9までを紹介してきた。

 今回は最後の「問題点10」である。そして、締めくくりとして、記者クラブ問題をどう解決したらいいのかの方法も考えたい。

32 pixels/Shutterstock.com

問題点10 限りない取材力の劣化

 問題点10は、「限りない取材力の劣化」である。それを論じる前に、1から9を再録しておこう。

1. 情報への特権的アクセス権。大手・有力マスコミを中心とする記者クラブは、フリー記者らを排除し、情報源へのアクセス権を独占している。
2. メディア同士の談合体質。独自のルールを作って自らを縛るなどして、古い談合体質から抜け出せずにいる。
3. 権力との「二人三脚」。記者クラブ加盟者・社は、とくに警察担当・政治担当において、相手におもねり、情報を「もらう」ことが常態化。ひどい場合は当局者と同じ発想になって二人三脚を組み、その視点からの報道を続けている。
4. 記者個人ではなく「クラブ丸ごと」で権力と一体化。記者クラブ員であってもジャーナリズムの本務である「権力監視」を続ける記者もいるが、記者クラブは全体として権力組織にのみ込まれている。それは今に始まったことではなく、戦前から続いている。
5.「縦割り」の取材体制。役所や警察などの組織配置に沿って、各記者クラブは各地・各所に配置されている。記者クラブ員は担当役所などに常駐。同じ社内でも横の連携は薄いうえ、外部との接触も限られており、タコツボに入ったような状態だ。
6. 記者クラブに「張り付く」ことのマイナス。記者クラブをベースに取材する記者は記者会見や各種発表などへの対応に追われ、なかなか外に出られない。国民の生の声を直接聞く機会も少なく、視野が狭くなる。当局者の示す施策と国民が解決を欲している社会課題との差異に気付きにくい。
7. 男性優位のマスコミを生む環境。記者クラブをベースに取材を続ける記者、とくにマスコミ企業の本流とされる政治担当や警察・司法担当は、早朝から深夜まで働き詰め。介護や子育てなどが必要な記者は、とても付いていけない。家庭を任される傾向の強い女性には、実に不利な職場環境である。
8. 記者会見で勝負しない体質。メディア同士での談合や当局との二人三脚などが進む中、会見の空洞化が進んできた。「本当に聞きたいことは会見ではなく、個別取材で聞け」という長年の”伝統”も影響しており、会見の空洞化は深刻度を増している。
9. 取材プロセスの「非透明化」がさらに進む。取材プロセスの「見える化」はほとんど進んでおらず、なぜこんな記事になったのかを国民は知る術がない。その根底には、会見で聞きたいことを聞かないといった記者クラブ加盟者・社の体質が潜んでいる。

 問題点10「取材力の劣化」は、上の1から9が凝縮され、必然的に導かれた結果である。

 フリー記者らを排除して情報への特権的アクセスを享受しているため、新規参入もほとんどなく、本当の意味での競争がない。競争がないことで談合体質が途切れず、深刻になる。ひどい場合は、本来は監視対象であるべき権力・当局と二人三脚の関係になり、クラブ員は丸ごと権力側に取り込まれる。記者会見で勝負しない傾向も強まり、取材力やその中核である質問力は、ますます劣化していく。

 こうした実態の背景には、メディア界の横並び体質や各メディア組織の保守化・官僚化があり、それらは記者クラブ制度によって増殖されている。

「発表報道」に覆い尽くされている現状

 取材力が大きく劣化していくと、紙面や番組はどうなるだろうか。

 ジャーナリストの岩瀬達哉氏による『新聞が面白くない理由』(1998年、講談社)や、NHK記者・大学教員を務めた小俣一平氏の『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか』(2011年、平凡社新書)などによると、新聞ニュース面の記事面積や本数を調べた結果、その7割程度は当局の「発表」をそのまま報じたり、若干の補足取材を加えたりした「発表報道」だったという。

 「発表報道」の定義はいくつかあるが、筆者は『現代ジャーナリズム事典』(2013年、三省堂)の「発表ジャーナリズム」の項目において、以下のように記した。

 記者発表に基づく内容をそのまま伝える報道、あるいは情報源を発表に過度に依存する報道を、批判的に捉えた言葉。「発表報道」とも呼ぶ。大臣や中央省庁、経済団体、企業などは頻繁に「記者発表」を実施しているが、発表ジャーナリズムが極端な形で出現した例には、第二次世界大戦中の日本の「大本営発表」報道がある。2011年3月の福島原発事故の際も、政府や東電の言い分を伝え続けた報道に対し「発表ジャーナリズムに堕している」という厳しい批判があった。

 こうした発表報道の横行は、どこに問題があるのか。

 1つには、取材プロセスの問題がある。報道には通常、取材のきっかけとなる「端緒」から始まり、「追加取材」→「種々の情報の確認(=裏取り)・取捨選択」→「価値判断」→「記事執筆・番組制作」といった流れがある。

 発表報道では、こうしたプロセスの大半を発表に依存しているため、取材の流れは「端緒」(=発表)から一足飛びに「記事執筆・番組制作」に向かう。独自の着眼点などが欠かせない「追加取材」、発表者の意のままには報道しない点では必須の「種々の情報の確認=裏取りや取捨選択」などが抜け落ちているか、非常に薄い場合が多い。

 2つ目は、アジェンダ設定の問題だ。発表報道では、報道側の独自視点や問題意識は放棄され、「権力監視」機能は失われている。取材の端緒である「発表」のみで取材がほぼ完結するということは、社会の課題設定を当局側に委ねてしまうことでもある。

 権力・当局はメディアをコントロールしたいとの欲望を常に抱えており、発表に関しても「発表したい者が、発表したい時に、発表したい方式で、発表したい内容を発表する」ものだ。その舞台が記者クラブなのだ。

 したがって発表報道への過度な依存は、メディアをコントロールしたいという権力者の願望が実っている証左とも言えよう。要は、政治家や行政などのPRに記者クラブ加盟者・社がひと役買っているわけである。

 メディアが権力のPR機関になり兼ねないことに関しては、過去にも多くの警鐘が鳴らされてきた。全体主義の恐怖を描いた小説『1984』の作者であり、ジャーナリストでもあった 英国人のジョージ・オーウェル氏(1903~1950年)は以下のような有名な言葉を残したとされている。

Journalism is printing what someone else does not want printed;everything else is public relations.(ジャーナリズムとは、誰かが報じられたくないことを報じることである。それ以外は広報に過ぎない)

 また、元米国大統領のオバマ氏は2017年1月、退任を間近に控えた最後の記者会見で記者たちに向かってこう述べた。ジャーナリズムの役割を的確に認識していたからこその発言だ。

You’re not supposed to be(inaudible) fans,you’re supposed to be skeptics,you’re supposed to ask me tough questions. You’re not supposed to be complimentary,but you’re supposed to cast a critical eye on folks who hold enormous power and make sure that we are accountable to the people who sent us here,and you have done that. (あなた方は私のファンではなく、私を疑い、厳しく質問をすべきなのだ。私をほめるのではなく、巨大な権力をも持つ者に対して批判的な視点を持ち、私たちを選んだ国民に対する説明責任を果たさなければならない。あなた方はその責任を果たした)
ホワイトハウスで最後の会見をするオバマ大統領=2017年1月18日、ワシントン

 権力はいつの時代も自らに不都合な情報を隠そうとする。誰からも指摘されていないのに、不正や不作為、不公正な出来事などを自ら進んで公表する権力者はそうそういない。そして、不都合な事実の隠蔽から権力の腐敗は始まる。

「すべてを疑うことがジャーナリストの仕事だ」

 最後に紹介する警鐘例は、実話に基づく映画『The Truth』(邦題『ニュースの深層』)の1コマだ。

 米国の3大ネットワーク・CBSの定時番組『60 Minutes』は毎回、丹念な独自取材で独自ニュースを放送する調査報道主体の番組として知られ、米国民の大きな支持を得ていた。その番組でブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑を扱ったところ、ネットで「捏造だ」といった批判が高まる。捏造か否かの決着がつかぬうち、真実よりも会社運営が大事だとする上層部によって、番組制作者やキャスターのダン・ラザーらが失脚していく物語だ。

 映画の中でダンは番組スタッフに対し、運歴疑惑の徹底した取材を求めていく。例えば、18回電話を掛けても軍関係者からコメントを取れないスタッフに対しては、19回目の電話を促す。映画にはこんな場面もある。スタッフを乗せた飛行機の客席で、ダンに憧れる若いジャーナリストに向かって放つセリフだ。

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