2020年10月01日
J1横浜FCのFW・三浦和良が9月23日、首位・川崎との一戦(等々力陸上競技場)に先発出場し、53歳6カ月28日と、J1最年長出場記録(これまでは中山雅史=45歳2カ月)を大幅に更新する新記録を打ち立てた。後半11分までの56分間プレーし交代したが、Jリーグが開幕した1993年から27年、当時ヴェルディ川崎のエースとして初ゴールをあげた同じスタジアムで、新たな歴史を刻んだ。
Jリーグのオフィシャルデータ「J STATS」が発表するトラッキングデータ(速報値)によると、降りしきる雨のなか、時速24キロ以上で1秒以上を走る「スプリント」回数はわずかに1回。両チームのGKを除けばもっとも少なかった。走行距離は.6,609㌔と、56分間のパフォーマンスとして平均的に走り切ったといえる。
記者として驚かされるのは、J1へのブランク期間だ。最後にJ1でプレーしたのは、当時も横浜FCで40歳だった2007年12月1日の浦和戦で13年前までさかのぼる。この記録は単純にランキングにできるものではないが、カズの4680日ぶりとなるJ1復帰は最長のブランク記録でもある。水面下で準備を続ける信念について聞いた取材がある。
「90分のうち出場はたとえ1秒でも準備をする。90分でも1秒でも、今がどんな状態でも次に向かって準備をするのがサッカーだから」
56分間出場した氷山の一角に、出場しなかった4680日、氷の塊のほうを想像した。13年ぶりの出場は1人の努力で達成できるものではもちろんない。それでも、スポーツ界が苦境に立たされた今年、またこれからも続くだろうコロナとのせめぎ合いに、「氷の下でいつも変わらぬ準備をする」とは、とてもシンプルで強い、メッセージであったと思う。
試合中カズが足ではなく手を使う場面が、53歳が今も現役を続けている理由が隠れている。サッカーなのに「手」とはおかしな話だが。
川崎戦、0-2で折り返した後半3分、横浜FC小林友希が中村俊輔からのCKにヘディングでゴールを奪う。この時、カズは、喜ぶ若手に目もくれずゴールに転がるボールを真っ先に奪いに行った。ボールを右胸にしっかり抱きしめるように、センターサークルへダッシュし、リスタートを促すようにボールを置く。1点では追いついていない。喜ぶのはその後だ。早く再開してもう1点取るぞ。これらを言葉ではなく背中で示す。
この日はキャプテンマークを巻いていたが、そうでなくても、日本代表戦でも、どんなに苦しい試合でも、大きくリードしていても、カズは必ずゴールからボールを胸に抱いて運んでくる。45歳の最年長出場記録を持っていた中山雅史と2人がFWでピッチに立っていると、2人が同時にゴールに駆け込みボールを奪い合ってぶつかっていた。「もう1点」とは、FWの魂とも呼べるような貪欲さの象徴で、ゴール後のこのパフォーマンスが、かつて得点のたびに酔いしれた派手な「ダンス」よりも力強く、魅力的だ。
9月22日、群馬の高崎アリーナで行われた「全日本シニア選手権」に、体操男子個人総合で五輪2大会連続金メダルの偉業を果たした内村航平(31=リンガーハット)が出場した。昨年は肩ほか、長年の「勤続疲労」のために試合に出場できなかったため、試合も1年ぶりとなる。
「6種目をできなければ体操選手とは呼べない」とまで言い切り、全種目で高得点をあげる「オールラウンダー」として世界の頂点に立ったレジェンドは、今大会初めて、鉄棒1種目の「スペシャリスト」に180度立場を変えて挑んだ。基本的なアップの方法から、演技はわずか1分程度と、個人総合の際は2時間ほどの出場に心身を整えたパターンとは全く異なり、とまどい、不安もあっただろう。
しかし、「ワクワクしている気持ちがすごく強い。たくさん実験して、五輪に向けてデータを1個にまとめてやれれば」と、実験データを集める研究者のように自らを客観視した。「色々難しいけれど、さて、どうなりますか・・・」そんな遊び心を伺わせる。一方、そうした遊び心とは裏腹に「恐怖を感じる時もある」というH難度の手離し技「ブレトシュナイダー」を、試合で初めて披露した。
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