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日本学術会議への人事介入に抗議します

ついに一線を越えてしまった菅政権の言語道断

田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

 日本学術会議(以下・学術会議)の新会員について、学術会議が推薦した会員候補のうち数人を菅義偉首相が任命しなかったという。今月1日、『しんぶん赤旗』がスクープで報じた。推薦者が任命されなかったのは過去に例がない。同紙の報道によると、任命されなかった科学者のなかには安保法制や共謀罪を批判してきた人も含まれるという。

 本稿では、日本学術会議法に基づき「わが国科学者の代表機関」として1949年に設立された学術会議が、いままでどのように時々の政権と「緊張関係」を保ってきたのかについての歴史を振り返るとともに、なぜ筆者が日本学術会議への人事介入に抗議するのかについて論じていきたい。

日本学術会議の第1回総会が開かれ、科学を通じて日本の平和的復興と人類の福祉に貢献すると声明。会長に亀山直人氏を選出した=1949年1月20日、東京・日本学士院日本学術会議の第1回総会が開かれ、科学を通じて日本の平和的復興と人類の福祉に貢献すると声明。会長に亀山直人氏を選出した=1949年1月20日、東京・日本学士院

そもそもなぜ「任命制」なのか?

 学術会議は、発足以来12回は、いずれも学者・研究者の郵便による直接投票で選ばれてきた。ところが1985年、中曽根政権下で行われた法改正で、学術会議の会員は「公選制」から「内閣総理大臣による任命制」に変わったのである。政府は「学術会議の政治的偏向を是正」するとして学術会議に介入をしたのである。

 任命制、といっても、中曽根首相の友人が勝手に選ばれるということではない。各学術研究団体(学会)が構成員の規模に応じ、専門分野を代表する「会員候補者」と、会員を選ぶ「推薦人」を届け出る。定数を超える専門分野では、推薦人会議が開かれ、推薦人同士の話し合い、決選投票などで最終候補者が絞られ、会員に任命される仕組みだ。(…中略…)
 「日本の学問の方向を議論したり、新学問を開く、生命倫理問題のように人文・自然科学の多分野からの取り組みが必要なテーマをまとめるなど、本当は学術会議の仕事は少なくありません。これまでのように『思想家』優先も困るが、学会長老ばかり選ばれるようなら、任命制は、学術会議消滅の一歩」と、別の会員もいう。(注1)

 もっとも、当時は、任命制の導入で「首相の友人が勝手に選ばれるということではない」とされていた。菅政権は「首相にとって相応しくないひとは勝手に落とす」という手段を強行したのであるのだが。では、そもそもなぜ任命制が導入しえたのだろうか。

 1985年7月23日付の『朝日新聞』社説は、政府が介入しえたのは学術会議が「権威低下」したからである、と論じた。同紙は、「権威低下」が起きた要因として、「研究所設立勧告」と「政治的な勧告や声明」の乱発を指摘した。

 年中行事化した政治的な勧告は、研究者たちの気持ちを学術会議から離れさせるという結果も招いた。政治的な主張は、どうしても主観的なものになることが多い。そのため、ある研究者には支持されても、他の研究者たちには支持されない。(注2)

学術会議と政権、緊張関係の歴史

 さて、『朝日新聞』の85年社説は、学術会議が

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