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「私は福島を知ってしまった。だから通い続ける」~福島原発訴訟・弁護団事務局長の思い

「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟が問いかけるもの

馬奈木厳太郎 弁護士

2.私たちは原発事故をどうとらえているか

 2015年1月号の弁護団だよりに、原告団長の中島孝さんは、次の一文を寄せました。

 あんなに豊かだった海の幸が消費者に無条件で求められることはなくなりました。試験操業の魚を食べることにはある種の決意が求められます。自家菜園の野菜についても同じです。山菜を採って食べることは、今も広範に禁じられています。渓流釣りを楽しんでいた人たちも、趣味をあきらめることを強いられています。
 しかし、職業としてこれらに携わる人たちには、こうした消費者の不安や摂取規制は生活再建の上での障害となります。ここには深い矛盾があります。これの打開には、原発ゼロの決定、被害者の救済方針の明示が国により為されなければなりません。原発の再稼働を前提にしては、現下の被害救済も将来の展望づくりも、間に合わせのいい加減なものとならざるを得ないでしょう。

拡大会見で判決について語る原告団の中島孝団長(右から2人目)。右端は弁護団の馬奈木厳太郎事務局長=2017年10月10日、福島市

 中島さんは、福島県相馬市でストアを経営し、朝から刺身を切る毎日を送っていました。地域で商売をし、原釜港に水揚げされる魚を生業にする小買受人組合の組合長だった方の苦悩と無念が、この一文には込められています。そして、この苦悩と無念をもたらす”矛盾”こそが、事故の被害の本質を物語っています。

 事故から9年半が経過しましたが、事故の原因解明はおろか、収束すら目途は立っていません。いまなお避難生活を強いられている者、事故前の何倍もの線量下で生活せざるを得ない者、線量の高い土壌付近で作業しなければならない農民、子どもの被ばくを怖れ避難した母親、”福島”というだけで回避され売上が激減した事業者など、被害は実に多様です。

 放射性物質を飛散させたという一個の行為によって、これだけ甚大で広範な被害が生じてしまいました。環境基本法2条3項は、「人の活動に伴って生ずる……大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、……によって、人の健康又は生活環境に係る被害」を”公害”と定義していますが、まさに今回の事故は未曾有の”公害”というほかありません。

 しかし、今回の事故は、単に環境が汚染されたという意味のみにおいて”公害”なのではありません。原子力政策を推進し、”安全神話”を振りまき、立地から廃棄物の処理まで一貫して関与してきた国という存在があり、”国策民営”とも称される国と事業者の一体的な関係が築かれているなか、地域を独占する事業者の経済活動の結果としての事故であるという意味で、すなわち構造的な被害であるという意味で、”公害”なのです。

 実は、この構図は、日本国民が初めて見るものではありません。水俣の地で、阿賀野川下流域で、四日市において、すでに見られた光景です。

 しかし、今回の事故は、その規模において、その被害者の数において、そして何より現在進行形の(しかも国が今後も推進していくことを明らかにしているところの)エネルギーが引き起こした事故という点で、過去の公害事件とは比較になりません。”未曾有”といわれる所以です。

 今回の事故はまた、”ふるさと”とは何かという問題を私たちに突きつけています。

 避難を余儀なくされ、自宅で寛ぐことができない人々は今日でも数万人を超えています。立ち入ることが許されず、無人のままインフラも建物も朽ちつつある街も存在します。

 ”ふるさと”というとき、個々人が思い浮かべる情景は様々です。ある人は生まれ育った地域の山や川を思い、ある人は家族や友人を思い浮かべます。その地域ならではの食材や料理、祭りを思い浮かべる人もいるでしょう。人が”ふるさと”に込める意味は、個々に異なります。

 しかし、共通するのは、地域社会において繰り返されてきた人々の営みのなかで育まれてきたものだということです。それはまた、その人らしい生活を営むための不可欠の基盤であるという点でも共通します。

 ”ふるさと”とは、このように単に生まれ育った地や住んでいた地を意味するものではありません。地域の自然や社会そのものであり、家族との生活であり、自己の生業であり、友人との人間関係であり、趣味のサークルや地域の祭りなどの総体です。

 それらを全て含み、個々の要素に分解することのできない生活の場・生活基盤の総体、私たちはそれを”ふるさと”と呼んでいます。

 福島は、以前から”うつくしま”と呼ばれてきました。いま、この”うつくしま”やその周辺が汚染されています。”ふるさと”を奪い、汚染し続ける――これが、今回の事故のもう一つの特徴です。

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筆者

馬奈木厳太郎

馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう) 弁護士

1975年生まれ。大学専任講師(憲法学)を経て現職。 福島原発事故の被害救済訴訟に携わるほか、福島県双葉郡広野町の高野病院、岩手県大槌町の旧役場庁舎解体差止訴訟、N国党市議によるスラップ訴訟などの代理人を務める。演劇界や映画界の#Me Tooやパワハラ問題も取り組んでいる。 ドキュメンタリー映画では、『大地を受け継ぐ』(井上淳一監督、2015年)企画、『誰がために憲法はある』(井上淳一監督、2019年)製作、『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』(平良いずみ監督、2020年)製作協力、『わたしは分断を許さない』(堀潤監督、2020年)プロデューサーを務めた。演劇では、燐光群『憲法くん』(台本・演出 坂手洋二)の監修を務めた。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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