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「私は福島を知ってしまった。だから通い続ける」~福島原発訴訟・弁護団事務局長の思い

「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟が問いかけるもの

馬奈木厳太郎 弁護士

1.再び国と東電に勝訴!

 「東電による不誠実な報告を唯々諾々と受け入れることとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものといわざるを得ない」

 「一般に営利企業たる原子力事業においては、利益を重視するあまり、ややもすれば費用を要する安全対策を怠る方向に向かいがちな傾向が生じることは否定できないから、規制当局としては、原子力事業者にそうした傾向が生じていないかを不断に注視しつつ、安全寄りの指導・規制をしていくことが期待されていたというべきであって、上記対応は、規制当局の姿勢としては不十分なものであったとの批判を免れない」

 仙台高裁の法廷に、裁判長の声が響きます。

 判決言渡しが終わると、期せずして廷内に拍手が沸き起こりました。門前では、「勝訴」「再び国を断罪」「被害救済前進」の3つの旗が、歓声と大きな拍手のなか高らかに掲げられました。

「勝訴」「再び国を断罪」「被害救済前進」の旗を掲げる福島原発訴訟の原告ら=2020年9月30日、仙台市青葉区

 9月30日、爽やかな晴天のなか、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)第一陣の控訴審判決が仙台高裁において言い渡されました。

 生業訴訟は、事故当時、福島県とその隣接県に住んでいた約4000名(第二陣も含めると約4500名)の方々が、国と東電の責任を追及し、原状回復と被害救済を求めてきた裁判です。

 提訴から7年半が経過しましたが、大きな峰を築く判決となりました。

2.私たちは原発事故をどうとらえているか

 2015年1月号の弁護団だよりに、原告団長の中島孝さんは、次の一文を寄せました。

 あんなに豊かだった海の幸が消費者に無条件で求められることはなくなりました。試験操業の魚を食べることにはある種の決意が求められます。自家菜園の野菜についても同じです。山菜を採って食べることは、今も広範に禁じられています。渓流釣りを楽しんでいた人たちも、趣味をあきらめることを強いられています。
 しかし、職業としてこれらに携わる人たちには、こうした消費者の不安や摂取規制は生活再建の上での障害となります。ここには深い矛盾があります。これの打開には、原発ゼロの決定、被害者の救済方針の明示が国により為されなければなりません。原発の再稼働を前提にしては、現下の被害救済も将来の展望づくりも、間に合わせのいい加減なものとならざるを得ないでしょう。

会見で判決について語る原告団の中島孝団長(右から2人目)。右端は弁護団の馬奈木厳太郎事務局長=2017年10月10日、福島市

 中島さんは、福島県相馬市でストアを経営し、朝から刺身を切る毎日を送っていました。地域で商売をし、原釜港に水揚げされる魚を生業にする小買受人組合の組合長だった方の苦悩と無念が、この一文には込められています。そして、この苦悩と無念をもたらす”矛盾”こそが、事故の被害の本質を物語っています。

 事故から9年半が経過しましたが、事故の原因解明はおろか、収束すら目途は立っていません。いまなお避難生活を強いられている者、事故前の何倍もの線量下で生活せざるを得ない者、線量の高い土壌付近で作業しなければならない農民、子どもの被ばくを怖れ避難した母親、”福島”というだけで回避され売上が激減した事業者など、被害は実に多様です。

 放射性物質を飛散させたという一個の行為によって、これだけ甚大で広範な被害が生じてしまいました。環境基本法2条3項は、「人の活動に伴って生ずる……大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、……によって、人の健康又は生活環境に係る被害」を”公害”と定義していますが、まさに今回の事故は未曾有の”公害”というほかありません。

 しかし、今回の事故は、単に環境が汚染されたという意味のみにおいて”公害”なのではありません。原子力政策を推進し、”安全神話”を振りまき、立地から廃棄物の処理まで一貫して関与してきた国という存在があり、”国策民営”とも称される国と事業者の一体的な関係が築かれているなか、地域を独占する事業者の経済活動の結果としての事故であるという意味で、すなわち構造的な被害であるという意味で、”公害”なのです。

 実は、この構図は、日本国民が初めて見るものではありません。水俣の地で、阿賀野川下流域で、四日市において、すでに見られた光景です。

 しかし、今回の事故は、その規模において、その被害者の数において、そして何より現在進行形の(しかも国が今後も推進していくことを明らかにしているところの)エネルギーが引き起こした事故という点で、過去の公害事件とは比較になりません。”未曾有”といわれる所以です。

 今回の事故はまた、”ふるさと”とは何かという問題を私たちに突きつけています。

 避難を余儀なくされ、自宅で寛ぐことができない人々は今日でも数万人を超えています。立ち入ることが許されず、無人のままインフラも建物も朽ちつつある街も存在します。

 ”ふるさと”というとき、個々人が思い浮かべる情景は様々です。ある人は生まれ育った地域の山や川を思い、ある人は家族や友人を思い浮かべます。その地域ならではの食材や料理、祭りを思い浮かべる人もいるでしょう。人が”ふるさと”に込める意味は、個々に異なります。

 しかし、共通するのは、地域社会において繰り返されてきた人々の営みのなかで育まれてきたものだということです。それはまた、その人らしい生活を営むための不可欠の基盤であるという点でも共通します。

 ”ふるさと”とは、このように単に生まれ育った地や住んでいた地を意味するものではありません。地域の自然や社会そのものであり、家族との生活であり、自己の生業であり、友人との人間関係であり、趣味のサークルや地域の祭りなどの総体です。

 それらを全て含み、個々の要素に分解することのできない生活の場・生活基盤の総体、私たちはそれを”ふるさと”と呼んでいます。

 福島は、以前から”うつくしま”と呼ばれてきました。いま、この”うつくしま”やその周辺が汚染されています。”ふるさと”を奪い、汚染し続ける――これが、今回の事故のもう一つの特徴です。

3.国と東電がまずやったこと

 裁判の意義と目的を考えるにあたって、国がまず事故後に何をやったのかということを改めて振り返りたいと思います。

 交通事故にたとえると、私たちがバスに乗っていて、「政府・東電号」という別のバスに追突されたとします。それで、「政府・東電号」の人たちが「ゴメン、ゴメン」と降りてきて、私たちのバスの左側に座っている人は被害者で、右側に座っている人は被害者じゃないと、「政府・東電号」の人たちが勝手に決めたとします。

 普通は、「被害者じゃない」といわれた右側の人たちは黙っていないはずです。被害者になった左側の人も、前から3列目までは手術代も通院費も慰謝料も支払うが、4列目以降の人は慰謝料8万円だけですと勝手に決められる。何が賠償の対象になり、それにいくら支払うかという水準まで一方的に決められる。

 福島ではそうしたことが続けられてきました。国と東電が、誰が被害者なのかを勝手に線引きしてきたのです。ですから、本来は被害者の方々がおかしいとまとまって立ち上がらなければいけない。それが理想です。

 しかし、現実はどうか。

 賠償金を受け取っていない人たちは、もちろん国と東電に対する怒りもあるわけですが、賠償金を受け取っている人たちに対するある種の感情もあるわけです。被害者同士が賠償金をめぐっていがみあうようなことがあったとしたら、それで誰が喜ぶでしょう。

 向こうが一方的に作った土俵に乗ってはいけない、そのことを私たちは事故直後から訴えてきました。

 国と東電は、事故が起きた後、まず何をやったでしょう。彼らは、まず線引きをしました。原発から20キロ、30キロで線を引いて、これは避難をさせるかさせないかの線引きでしたが、同時に被害者か、そうではないかを選別する線引きでもあったわけです。線引きのこの役割を見過ごしてはダメだと思っています。

 次に、何をしたか。被害を賠償の問題に、要するにお金の問題に矮小化しました。線引きと矮小化によって、被害者を分断させようとしたのです。

2011年3月30日、東電本社で記者会見する勝俣恒久会長(右)ら=東京都千代田区内幸町

 現に多くの方が、「あそこは賠償金が出た」とか「この地区は賠償金が少ない」とか、お金の話ばかりしています。しかし、よく考えると、被害はお金の話だけなのか。言い方を変えると、被害者の方々は賠償金をもらえば、あの事故をなかったことにできるのでしょうか。

 たとえば、子どもや孫に何らかの被害が出たとして、そのときお金を積まれて「なかったことにしてくれ」と言われて、「うん」とは言わないでしょう。もちろん、営業損害などお金で償ってもらうべきものもあります。しかし、ふるさとや海や山を汚され、健康に影響が出るかもしれない物質を撒き散らされ、お金だけでなかったこと、チャラにできるかといえば、「とんでもない」ということになるはずです。

 ですから、私たちは、お金だけの話ではないということ、そして持ち込まれた分断を自ら克服しなければならないということを訴えてきました。

4.「生業訴訟」とは――どんな人たちが、どんな想いで、何を求めているのか

 生業訴訟は、2013年3月11日、福島地方裁判所に提訴したところから始まりました。

 被害者に共通する想いを込めて、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟と称されますが、今回の事故について、国の法的責任を明らかにし、損害賠償のみならず原状回復をも求めている集団訴訟で、事故の被害救済を求める同種の裁判のなかでは全国最大の原告団となっています。

 原告団は、事故時に、福島、宮城、栃木、茨城の各県に居住していた人々で、居住地にとどまっている方(滞在者)と、居住地から避難した方(避難者)が、1つの原告団を構成しています。0歳児から90歳代の方まで、属性も事業者、農業、会社員、主婦、年金生活者、教員、漁業関係者など多様です。また、福島県内59市町村の全市町村に原告を擁する原告団となっています。いわば、”オール福島”・”オール被害者”の原告団といえます。

 私たちの裁判の目的は明確です。3つのキーワードで表しています。

 1つが、”原状回復”です。交通事故で家族を失ったとき、残された家族が最初に思うことは、決して「金を払え」ではないはずです。「家族を返せ」と思うはずです。現実にはそれができないので、「できないのなら、せめてお金を払え」、こういう順番のはずです。

 今回の裁判も同じです。まず、「元に戻せ、原状回復しろ」が一番目の要求になります。ただ、注意していただきたいのは、ここでいう”原状回復”は、たとえば、「2011年3月10日に戻せ」ではないということです。

 3月10日であれば、確かに事故は起きていません。しかし、事故の原因となった原発は存在しています。私たちは、これでは足りない、被害を生み出すことがない状態にせよと求めています。ですから、私たちのいう”原状回復”は、”放射能もない、原発もない地域を創ろう!”という意味でとらえられる必要があります。広い射程をもって”原状回復”という言葉を使っているのです。

 2つめは、被害の”全体救済”です。いま約4500名の原告で裁判をしています。ここで強調したいのは、これらの原告は、「自分たちだけを救済してくれ」と言っているわけではないということです。

 一般的に裁判というと、貸した金を返せとか、家を明け渡せといった請求となり、訴えた人の請求が認められるか否かだけが問題となります。ところが、この原告たちは、そういった話はしていません。「自分たちだけを救ってくれ」という話を超えた主張をしています。この裁判を通じて何を求めているのか、それは個別救済ではなく、”全体救済”を求めているのです。

 具体的にいうと、「あらゆる被害者の被害を救済せよ」、「被害者のいる限り救済せよ」ということを求めています。これは判決をテコとして、全体救済のための制度化を要求しているということです。

 つまり、今回の事故について国に責任があると認めさせることによって、国には被害を救済する義務がある、いわば償いをしなければならないことが明確になります。

 では、どんな形で償いをさせるのか、それは様々な形で被害が出ているので、被害に見合った形で、被害に即した形でやるべきだ、生活再建や健康被害、除染、賠償など色々な問題があります。そうしたことに対する制度を作らせることを目的とした裁判ということです。

 したがって、この原告の方々たちは、様々な事情から原告になれなかった人たちのため、今後被害が生ずることになるかもしれない人たちためにも、自分たちは頑張ると決意した方たちなのです。

 3つめが、”脱原発”です。今回の事故を受けて、被害根絶を真面目に追求しようとすると、エネルギーとしての原子力をどうするのかということに行きつかざるをえません。

 「被害者をもう生みださないでほしい」と原告の方に限らず、みなさん仰います。「私たちのような被害者は自分たちで最後にしてほしい」とも仰います。これは、もう原発による事故、そうした被害者を生み出さないでほしいということです。

 そうであるならば、どうそれを目指していくのか。お金の話だけでは問題は絶対に解決されません。先ほどの”原状回復”を考えないといけないし、もっと突きつめていくと原発をどうするのかということまで行くことになります。

 私たちが”脱原発”を言っているのは偶然ではないのです。

5.裁判では何が争点だったのか

 裁判では、事故についての法的責任が国と東電にあるのか、法的責任があるとしてどの範囲の人々との関係で責任があることになり、その程度・度合いはどれくらいのものなのかが争われました。

 法的責任があるのかというのは、国と東電の事故前の対応に過失(落ち度)があるのかということです。どの範囲の人々の関係で、責任の程度がどれくらいなのかというのは、被害者と評価されるべき人々の地域的な範囲と賠償額としてどれくらいが妥当なのかということです。

 責任論について、国と東電は、想定外の津波であり、事前に予測することは困難だったと主張してきました。私たちは、原発の敷地高さを超える津波に襲われた場合には、全交流電源喪失に至りうることを国と東電は認識していたのであるから、今回襲来した津波そのものを事前に予測できている必要はなく、「敷地高さであるO.P.+10メートルを超える津波が到来し、全交流電源喪失に至る可能性」を認識していればよいと主張してきました。

 また、2002年に公表された「長期評価」などが、「想定しうる最大規模の地震津波」への対策や福島県沖を含んだ対策を求めていたといった事情があったにもかかわらず、東電は必要な対策をとらず、国も規制権限を行使しなかったことは、故意にも匹敵する重大な過失だと主張してきました。そして、こうした主張を裏付けるために様々な報告書や資料を証拠として提出してきました。

 証拠に関しては、本来であれば事故に関する資料は国や東電が一番多く保有しているわけですから、過失がないと主張するのであれば、国や東電は自ら進んで資料を提出してもよいように思われます。

 しかし、実際には、東電は過失について審理する必要はないと主張し、過失が存するか否かを判断する材料となる津波の試算データなどの開示について、一審の裁判所からも開示するよう求められたにもかかわらず一貫して拒否してきました。

 私たちは、津波の試算データは、過失の存否や事故原因を解明するために不可欠な資料であることや、事故を起こした当事者として国民に対し開示するのが企業責任として当然であることなどを主張し、あわせて試算の指示を出し報告を受けていた国にも事実を明らかにするよう求めました。

 一審段階でのことですが、こんなエピソードもありました。

 提訴から一年後の2014年頃、国は、資料が見当たらないので試算を指示した事実を確認できないと書面で述べたことがありました。しかし、私たちの追及にあうと、次の期日において、事務官が一部調査を尽くしていなかった書棚から発見された(!)として、津波対策について「余裕のない状況になっている」との評価が記載された資料を提出してきました。

 地元紙をはじめ多くのメディアは、「国、試算資料を提出 『存在せず』から一転」、「津波試算『資料あった』 国一転、存在認める」、「津波試算関連資料『現存』 国側、前回の回答訂正」といった見出しで報じました。

 そうした意味では、裁判を行ったことで、事故調査委員会でも出てこなかった資料が明らかになったという面もあります。加えて、東電の元役員に対する刑事裁判や株主代表訴訟で提出された証拠を活用させていただいたこともあり、あらゆる証拠により徹底して責任を追及しようという姿勢で臨みました。

 責任をめぐる議論と同じく重要なもう1つの論点として、損害をめぐる議論があります。

 生業訴訟では、損害賠償に先立って、原状回復を求めていますが、こうした請求に対して、たとえば東電は、「仮に技術的に可能であっても費用がかかりすぎるので一企業のみで負担するのは困難」などと述べ、被害が広範に及び被害が大きければ大きいほど、あたかも責任がなくなるかのような主張をしてきました。

 また、損害賠償についても、東電は、「年間20ミリシーベルト以下の放射線被ばくは、喫煙、肥満、野菜不足などに比べても、がんになるなどの健康リスクは低いとするのが”科学的知見”であり、それを下回る放射線を受けたとしても、権利侵害にはあたらない」、「中間指針は相当で合理的な内容を定めている」といった主張もし、”20ミリ以下では被害はない、我慢せよ”という開き直った姿勢を取り続けてきました。

 私たちは、国や東電の”責任がない”・”金がない”といった主張に対して、被害を多角的に明らかにしつつ、そうした主張を批判してきました。

 損害を立証する際の生業訴訟の1つの特徴に、代表立証という手法を用いたことがあります。これは、原告全員の被害を余すことなく明らかにすることが時間的にも限界があることから、地域ごとに原告のなかから代表を選んで、その人たちの尋問などを通じて共通する損害を明らかに、その共通損害に対して一律の賠償を命じてもらうというものです。

 この方法を用いることで、審理期間が短くなることに加えて、地域ごとの共通損害に対する一律の賠償が判断されることから、原告にはなっていない人であっても、その地域に居住していた人であれば、同様の被害が生じていると判断されたことになり、国の定めた賠償基準(中間指針など)を見直す契機とすることができるというメリットがありました。

 このほかにも、裁判官に現地を見てもらう検証といった手続きを一審でも控訴審でも行うなど、多彩な立証活動を尽くしてきました。

6.高裁判決の内容

 そうしたやりとりが7年半続けられ、ようやく高裁判決が出されました。

 判決は、国と東電の責任について、①事故前に危険を予見することができたか、②予見できたとして危険を回避することができたかという2つのポイントから判断しました。

 ①については、「長期評価」(2002年)という専門家が検討を重ねて公表された報告書において、福島沖においても津波地震が起こるとされたこと、「長期評価」に基づき試算を行うと福島第一原発の敷地高さを超える津波が襲来する危険性があったことから、事故前に危険を予見できたとしました。

 ②については、予見に基づき建屋の水密化などがなしえたとして回避できる可能性があったとしました。

 判決は、「長期評価」という信頼できる警告が発せられていたにもかかわらず、その警告を真摯に受けとめず、むしろ対策を極力回避し、先送りしようとした東電に対して、「原子力発電所の安全性を維持すべく、安全寄りに原子力発電所を管理運営すべき原子力事業者としては、あるまじきものであったとの批判を免れない」としました。

 また、国についても、冒頭紹介したような理由から責任を認め、その重さについても、国が原発政策を推進し、自ら原発の設置を許可してきたことからしても、補完的な責任ではなく、東電と同等の責任があると判断しました。

 国と東電は事故を「想定外」などと主張してきましたが、そうした主張を許さず、厳しく非難する判決となりました。

 損害については、区域ごとに一律に損害を評価するという手法を用いて、国の賠償基準(中間指針など)を上回る損害があるかを判断しました。

 大きく整理すると、①避難指示区域について中間指針を大きく超える損害を認定、②自主的避難等対象区域の成人について賠償時期を延長、③自主的避難等対象区域、県南、丸森町の子ども・妊婦について中間指針を超える損害を認定、④中間指針で賠償対象とされていなかった県南、丸森町の成人、会津地域、栃木県那須町の子ども・妊婦について損害を認定、となりました。一部について一審判決より後退した部分もありますが、救済範囲を拡大させ、水準も引き上げる内容の判決でした。

 今回の判決は、国に法的責任があるのかという点について、事実上決着をつけたものと評価できます。また、原子力事業者あるいは規制当局としての適格性を厳しく論難するものであり、原発推進という現在の政策に対しても警鐘を鳴らすものとなりました。

 原発事故について、国はもはや他人事のような顔をすることは許されないという判決が一審に続いて今回も出されたのです。加害を負わせた当事者として、国には法的義務として救済を行う必要があることになりました。

7.「生業訴訟」が問いかけているもの

 裁判の目的を”原状回復”、”全体救済”、”脱原発”という3つのキーワードで表しましたが、これをまとめると、「人の命や健康よりも経済的利益を優先させる社会のあり方は、もうやめにしませんか」ということに尽きます。命や健康と儲けを天秤にかけるような、そんな社会はもうやめましょうということです。

 考えてみれば、過去の公害裁判もそういう話でした。水俣湾にどれだけメチル水銀を含む汚悪水を垂れ流そうが、その水銀によってどれだけ被害が出ようが構わないという企業の存在を許していいのか、それを規制しない国のあり方でいいのか。あるいは東京の街並みや四日市の大気をどれだけ汚そうが関係ないという話があっていいのか。私たちはそうした社会のあり方をやめにしましょうと訴えているわけで、この裁判はそうした取り組みの一環として行われています。

 こうした社会にしていくためにはどんなことが必要か、私はいま2つのことを意識しています。一つは「原発から自由になること」、要するに脱原発です。

 もう一つは「原発の存在を許容する地域支配の構造から自由になること」です。

 先ほど、”放射能もない、原発もない地域を創ろう!”と述べましたが、「地域を創ろう!」には意志が込められています。原発立地地域では、お金と権力で民意が歪められ、地域がコントロールされてきたところが多かったという現実があります。

 そうした地域支配の構造から脱却すること、地域のことを地域の人たちが自分たちで決める、主人公として積極的に関与していくという決意が込められています。ある種の主権者意識の確立です。これがあって初めて元に戻れる、そうでないとまたやられてしまう、そうした認識に基づいています。

福島県富岡町の帰還困難区域を視察する仙台高裁の裁判官ら=2019年5月

 このように見てくると、確かに裁判それ自体は福島や仙台で行われていますが、そこで問われていることは決して福島や仙台にとどまる話ではありません。そうであれば、その課題を原告や福島の人たちだけに背負わせるわけにはいかないのではないでしょうか。そして、この課題は判決を取って国に勝てれば終わりという単純なものでもないでしょう。

 今回の判決で、国の責任が認められましたが、話をさらに進めると、結局、国とは誰のことを言うのかということになるのではないかと考えています。

 私たちの”主権者らしさ”を問うているもの――それが生業訴訟なのです。

8.なぜかかわり続けているのか

 最後に、なぜ私がかかわり続けているのかについて述べさせてください。

 私は福岡出身で、福島とは地縁も血縁もありません。弁護士登録したのが2010年12月で、登録3か月後に原発事故がありました。事故後まもなくして、福島からの要請があって、法律相談に行ったのが福島との出会いでした。

 初めて行ったのは二本松市の男女共生センターが会場だった法律相談です。教室くらいの広さの会議室にびっしり、立ち見が出るほどの人でした。盛況や活況といった雰囲気というよりも、そのときの私の正直な印象は、殺気立ってるというものでした。

 二本松市には浪江町からの避難者の方が多く、地元の人だけでなく浪江町の人も多く来ていました。相談を受ける弁護士は、地元の弁護士が3名、東京などから5名の計8名で、100名くらいの相談者の話を分担して聞くことになりました。

 本来なら30分以上かけて丁寧に聞き取りをしたいところですが、15分くらいで交代してもらい、それでも3時間以上はかかったと思います。その日の相談を終え、東京に戻るわけですが、「じゃあ、頑張ってください。さようなら」というわけにはいきませんでした。

 その後、弁護士としては新人ということもあり比較的時間があったこと、私の事務所が後押ししてくれたこともあって、毎週福島に通うようになりました。理由は簡単。出会ってしまったから、話を聞いてしまったからです。

 ですから、かかわることについて、私には高尚な理想や覚悟のようなものは必要ありませんでした。以来、新型ウィルス感染症の拡大に伴い中断するまで、多いときには週の半分くらいを福島で過ごす生活が続きました。

 なぜかかわり続けているのかといえば、加害者の側に立ちたくないなという考えがあるからです。

 私は事故後には政府もさすがに原発はやめると言うのではないかなと一瞬思ったことがありました。しかし、政府は再稼働を進め、海外への輸出も進め、いまや新たな原発の建設まで始める事態になっています。一方で、事故はまだ収束しておらず、事故原因の解明もなされておらず、二度と事故が起こらないという保証もありません。

 そうであるなら、将来もしどこかで事故が起きたとき、自分が何もしていなかったとしたら、そのときには自分は傍観者ではなく加害者の側に立つことになるんだろうなと思い、それは嫌だなと思いました。

 福島を知らなければ、事故が起きてもこんなことになるなんて知らなかったと言えるかもしれません。しかし、私たちは福島をもう知っています。そして、やめない、続けるという人たちがいることも知っています。

 福島を知っている以上、傍観者の立場、第三者の立場というのはありえないと思っています。何もしないというのは、私のなかでは加害者の立場に立つことを意味しています。

 今回の事故について、事故前から原発は危ないと言っている人たちの存在は知っていましたが、私自身は何の問題意識もなく、かかわることもありませんでした。これだけの被害が生じてから、遅まきながら危ないということ知ったのであり、その悔恨の想いもあります。

 私は、これからも福島に通い続けます。知ってしまったのだから。