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首相会見をこじ開けろ――そして現場の記者たちの連帯が始まった

[1]「禁断」の首相会見に潜入、無通告質問

三浦英之 朝日新聞記者、ルポライター

福島と沖縄――国家の繁栄のために原発と基地という迷惑施設を押しつけられている「苦渋の地」で今、何が起きているのか。政府や行政を監視する役割を担うメディアは、その機能を果たしているのか。権力におもねらない現地在住の2人の新聞記者が「ジャーナリズムの現場」をリレーエッセーで綴ります。

 2020年3月7日、私は首相会見に「潜入」し、安倍晋三首相に無通告で質問をぶつけた。本人は多分に驚いていたが、結果的に私の質問に短く答えた。東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故から9年。安倍首相が被災地で内閣記者会に所属していない地元記者からの質問に答えたのは、これが初めてのことだった。

水素製造施設の開所式でテープカットに臨む安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、三浦英之撮影水素製造施設の開所式でテープカットに臨む安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、撮影・筆者

 安倍首相はこの日、震災9年を迎える前に福島県沿岸部の原発被災地を訪れていた。全線運転再開を間近に控えたJR常磐線の双葉駅などを視察した後、浪江町に完成した国の水素製造施設の開所式に出席する日程だった。

 ちょうど政府の新型コロナウイルスへの対応のまずさに多くの批判が集まり始めていた時期であり、福島における復興の前向きな動きに合わせてメディアに露出することで政権のイメージ回復を狙いたいという官邸側の思惑が透けて見えたが、原発被災地を担当する記者としてはそれでも、国の最高責任者に震災9年目の被災地の現状を見てもらうことは有意義なことだと考えていた。

 しかし、事前配布された視察日程の予定表を見たとき、私は深く考え込んでしまった。首相は日程の最後である浪江町の水素製造施設の開所式に出席した後、報道関係者の「ぶら下がり」(立ったまま質問に答える簡略的な記者会見)に応じることになっていた。ところが、広報担当者に問い合わせてみると、そのぶら下がりに私は参加できない。出席できるのは東京から随行してくる内閣記者会の首相番だけで、地元の記者は質問はもちろん、参加さえ許されないというのである。

 日本を代表する首相への会見については、幹事社質問の「事前通告」など多くの制約や慣習があることは私もメディアに籍を置く者として理解していた。しかし今回、安倍首相が視察に訪れるのは東京ではなく福島だ。ぶら下がりが行われる水素製造施設がある浪江町は私の持ち場でもある。原発事故から9年、この地には原発被災地の日常をつぶさに見続けてきた記者がいる。現場を最も良く知る取材者が、現地に来た一国の首相に視察の感想を質問するのは当然だと思った。

 だから、私はその内閣記者会の首相番だけが参加できるというぶら下がりに「潜り込み」、安倍首相に直接質問をぶつけようと考えたのである。

あまりにショッキングな安倍首相のコメント

 水素製造施設の開所式に自ら水素燃料電池車を運転して登場した安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町水素製造施設の開所式に自ら水素燃料電池車を運転して登場した安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、撮影・筆者 

 水素製造施設の開所式が始まると、安倍首相は女性アナウンサーのコールに導かれ、自ら水素燃料電池車を運転して会場に姿を現した。

 その直前、首相に随行してきたとみられる記者団の一行が会場に到着したのを私は見逃さなかった。皆、長旅に疲れ切ったような表情で、腕に「内閣」の腕章を巻いている。安倍首相が壇上でスピーチをしている間、私は彼らの動きをずっと目の端で追っていた。

水素製造施設の開所式で挨拶をする安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町水素製造施設の開所式で挨拶をする安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、撮影・筆者

 すると、安倍首相が演説を終えた瞬間、その首相番の群れが誰かに導かれるようにして別の場所へと移動し始めたのだ。

 私は彼らの後ろをそれとなくついていくことにした。

 彼らが向かった先は開所式が開かれている式典会場から数百メートル離れた、水素製造施設の建物のちょうど裏側にあたる通路だった。幸い、私は誰かに制されることもなく、許可のいる場所にも立ち入っていない。

 問題は服装だった。原発被災地に勤務する私はいつでも現場に飛び出せるよう、普段からアウトドアウェアを着て取材している。全員がスーツ姿の首相番の中で一人だけアウトドアウェアの人間が紛れ込んでいれば、確実に目立ってしまう。

 私は慌ててぶら下がりの会場にセッティングされていたテレビカメラの三脚の下にしゃがみ込んだ。代表取材のテレビカメラの撮影アシスタントのような雰囲気を装い、ぶら下がりが始まるまでの時間をなんとか乗り切ろうとした(ただ、その作戦はどうやら失敗だったようだった。官邸や国会で撮影するカメラマンや助手は通常スーツ姿で仕事をするらしいということを後に私は同僚のカメラマンから聞かされた)。

 数分後、安倍首相はSPに囲まれて我々の前に現れた。それまで何度も小声で質問の練習をしていた女性記者がマイクを差し出し、質問を1問だけ安倍首相へと投げかけた。

 「東日本大震災からまもなく9年となるなか、震災や原発事故の影響で避難生活を余儀なくされている方は先月の時点で4万7000人にのぼっています。節目となる10年を前にこれまでの政府の復興政策についてどのように総括されますか」

福島水素エネルギー研究フィールドの視察を終え、記者の質問に答える安倍晋三首相=2020年3月7日午前11時20分、福島県浪江町、代表撮影記者の質問に答える安倍晋三首相=2020年3月7日、福島県浪江町、代表撮影

 安倍首相は事前に通告されていたのだろうその質問に頷くと、次のようなコメントを実に4分以上もかけて一方的に話し始めた。

 「まもなく東日本大震災から9年を迎えます。来週いよいよJR常磐線が全線開通致します。それを控えて発災以来、町全体で避難が続いていた双葉町では一部で避難指示が解除され、本格的な復興に向けて大きな一歩が踏み出されました。(中略)福島の復興なくして日本の再生なし。この考え方の元に福島が復興するその日が来るまで国が前面に立って全力を挙げて参ります」

 原発被災地で取材を続ける私にとっては、あまりにショッキングな内容だった。あるいは彼は1日のうちに沿岸部のいくつもの場所を訪問したので、自分が今どこにいるのかわかっていないのではないか、とさえ私は思った。

 彼がその時立っていたのは、事故を起こした東京電力福島第一原発からわずか8キロの場所だった。近くの請戸漁港からは原発の排気筒がはっきりと見えるまさに「目と鼻の先」。そこまで原発に近づいていながら、記者会見で「原発」という言葉を一度も使わず、事故への認識も感想も示さない会見者を、私はこれまで見たことがなかった。

 東京電力も認めているように、福島第一原発の廃炉は思うようには進んでいない。東京電力は廃炉までの道のりを「30~40年」と発表しているが、その実現可能性はほぼゼロに近く、その達成が50年後になるのか、100年先になるのか、今の科学技術では結局誰にもわからない。そもそも「廃炉とは何か」という定義でさえ、明確には決められていないのが実情なのだ。

「今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか」

震災時のまま荒廃した請戸小学校近くの墓地=2020年3月11日、福島県浪江町震災時のまま荒廃した請戸小学校近くの墓地=2020年3月11日、福島県浪江町、撮影・筆者 

 「終わります」という内閣の担当者の号令によって、ぶら下がりはたった1問で打ち切られた。それが首相の地方視察における慣例なのだろう。質問を続ける記者もその終了の仕方に異議を唱える記者もいない。安倍首相は当然のように数十メートル先で待ち受けている車列の方へと立ち去ろうとした。

 「すみません!」

 次の瞬間、私はテレビカメラの三脚の下から手を上げて、冷静に大きな声で安倍首相の背中を呼び止めた。

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