マンガを規制するかどうかに「好きなマンガがあるかないか」など、まったく関係ない
2020年10月25日
20日の記者会見で、加藤勝信官房長官は、劇場版「鬼滅の刃」のヒットの件から日本のアニメに関心があるかという記者の質問に答える中で、「鬼滅の刃」の映画をテレビで見ており、「進撃の巨人」も全巻読んでいると答えた。
表現の自由に関わるロビイング活動などをしている漫画家の赤松健氏はTwitterでこの件を取り上げ、「最近の議員さん達は(与野党問わず)漫画アニメ好きが増えていて、表現規制しようなんて考えの人は減っている。今後もこの傾向は加速する。」と好意的に論じた。
まず明確にいえることは、これは菅総理が就任した直後に、マスコミがやたらと「菅総理の人となり」などとしてパンケーキを食べている写真を公開していたのと同じ、イメージ戦略である。
ちなみにあの写真、横には河井案里議員がいたものがあったはずだ。女性議員と一緒にパンケーキを食べている菅議員の姿は、とても和やかで良い宣材写真になるはずなのに、なぜか河井議員の姿がトリミングされている報道も見受けられた。なにか不都合なことでもあったのですかね?
それはさておき、今時の議員とか以前に、今の大人の大半はマンガやアニメに触れて育ってきている。
友人のライターが言うには「極右も極左も同じマンガやアニメの話題であれば一緒に盛り上がれる」くらいであるし、別に与野党の議員の誰が、鬼滅の刃の映画を見ていても、進撃の巨人全巻を読んでいても、なんら不思議ではない。
そんなことよりも不思議なのは、なぜ「官房長官に好きなマンガやアニメがある」からと言って、その結論が「表現規制しようなんて考えの人は減っている」となるのだろうか?
身も蓋もないことを言ってしまえば、鬼滅の刃や進撃の巨人といったマンガを褒め称えることと、少女をレイプするようなエロマンガに対する規制の間には、一切の関係もない。
「画家を目指していたヒトラーが独裁者になったら、退廃芸術の排除を始めた」という事例もあるように、単純に誰かにとって「好きなマンガ」があるということが、その人にとって「嫌いなマンガ」があることを否定しない。ましてや「嫌いなマンガを排除しよう」と思うことに対して、好きなマンガがあるかないかなど、まったく関係しないのである。
「女性議員なら、女性の気持ちを優先した政治をしてくれる」とか「女性が好きな男性は、すべての女性に対して暴力を振るわない」とか「自分の子供を大切にしている親は、他人の子供も大切にする」なんてことは、普通に社会生活を送っていれば、何ら根拠はないし、否定する事例は山ほど出てくるということを知っているはずである。
「官房長官がマンガを褒めてくれたから、マンガに対する理解が深まっている。だからマンガは規制されない」などという考え方は、安易かつ空虚な空想としか言いようがないのである。
かつて、麻生太郎副総理が「俺たちの麻生」と褒めそやされたことがあった。愛読書の1つにゴルゴ13があり、秋葉原駅前での演説で若者たちの注目を集めた麻生氏に対して「オタクが市民権を得た」かのような反応は少なくなかった。
しかし麻生氏自身は児童ポルノ規制法の改正などにも意欲的であり、決して表現規制反対派ではない。にもかかわらず、実態と遊離したまま「俺たちの麻生」は保守派マンガアニメファンのアイコンのように扱われ、さも「自民党はマンガやアニメ好きも多い、表現の自由を守る政党である」という、客観的に見ればまったくの筋違いの理解が
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