メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

中山道・妻籠宿の奇跡~宿場も街道も山並みも「景観」丸ごと保存

【10】住民が江戸期の姿を蘇らせ半世紀。観光効果55倍

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

囲炉裏の煙にうかぶ陽光。昔日の暮らしを思う

 街道筋の中心に、国重要文化財の脇本陣奥谷(おくや)が立つ。現在は、南木曽町博物館の構成施設にもなっている。「奥谷」は屋号で、代々、問屋、酒蔵などを営む林家が務めていた。脇本陣として皇族や大名らが宿泊、休憩した。現在の建物は1877(明治10)年に建て替えられたもので、総檜造り。江戸時代は檜など木曽五木の伐採・使用が一般には禁じられていたが、明治に入り禁制が解かれたことによる。

拡大脇本陣奥谷の居間。囲炉裏から上がる煙に格子窓から光線が差し込み、美しい空間を作り出す=2019年、筆者撮影
 入ってすぐ右手に大きな囲炉裏が切られている。ここがかつての家族の居間で、係りの人の説明によると、薪の火の暖かさがたっぷり届く囲炉裏の正面は主人の席で、その隣は客人、まだ火が回らぬ薪の尻側が子供や嫁の場所だったという。囲炉裏の周りひとつにも、かつての家父長制が厳然と存在していたことを示しているようだ。

 囲炉裏からは、いつもくべられた薪の煙が立ち上る。この煙に格子窓から陽が差し込むと、数本の光線となって、舞台照明のように薄暗い室内を照らす。静謐で美しい光景である。

 「これは、太陽が低くなり始める初秋の9月から翌年の3月までの午前中に見られます。光線の差し具合で、昔の人は季節の移り変わりを知ったのです」。自然を巧みに利用した暮らし方を、係の人が教えてくれた。なお、残念ながらコロナ禍のため、来年の3月31日まで、撮影や録音は禁止となっている。

皇族も休憩した脇本陣。島崎藤村の書に出合う

拡大藤村直筆の若菜集の一節が展示されている=筆者撮影

 奥には、明治天皇が巡行の折に休憩した上段の間があり、手前の宝の間には、藤村直筆の若菜集の一節「うてや鼓」が展示されている。藤村の幼友達で、初恋のモデルとも言われるおゆうさんが、実はこの林家に嫁いだことから、おゆうさんの息子からの依頼により贈られたと伝わる。

 隣接の歴史資料館には、皇女和宮が1861(文久元)年、将軍家茂に嫁ぐ道中に奥谷で休憩した際に贈った車付きの長持を展示している。

 奥谷の先には、1995(平成7)年に江戸時代後期の間取り図を基に復元された本陣がある。こちらも南木曽町博物館のひとつだ。

拡大名物の五平餅。うるち米の団子にクルミ、ゴマ、落花生のたれがかけてある=筆者撮影
 道筋沿いの古民家は今、内部を改装し、蕎麦屋や名物の五平餅を食べさせる店、特産の木曽漆器の土産店などになっている。

 細かい縦繁格子、隣家との間に設けた防火壁の卯建、軒を支える出梁造り(だしばりづくり)などが、統一感のある落ち着いた景観を見せている。現代風の建物が一切混在していないところが妻籠宿の魅力なのだろう。

 道はやがて、大きく右に曲がり、すぐに左に曲がる複雑な形をとる。

『座頭市』も撮影された江戸時代から続く宿

 この不思議な形は、道を2回ほど直角に曲げる「枡形」の跡で、城の守りと同様に宿場の防御として設けられたものである。この細かく屈曲した枡形沿いにも宿が立つ。

 「松代屋」の看板が見える。夕刻ともなると、外灯にあかりが入り、いかにも街道筋に立つ宿の風情。時代劇のワンシーンを見る思いだ。

拡大枡形の跡とそばに立つ宿。まるで時代劇のシーンのようだ。映画『座頭市』の撮影もここで行われた=筆者撮影
 松代屋の9代目のご主人、代田貞仁(しろた・さだひと)さん(49)は「うちはもともと木賃宿からスタートしたようです。建物は200年ほど経っていますね。昭和48年に映画の座頭市のロケが家の前などで行われたんですよ」という。やはり時代劇が撮影されていた。

 7室とこぢんまりとした宿だが、往時のたたずまいを残し、板張りの廊下や障子の引き戸が旅人の心をくすぐる。天井の低い部屋で身を横たえると、200年前に戻ったような心の安らぎを覚える。

 取材した日、宿泊していたのは若いカップル、熟年のご夫婦、それにドイツからの観光客であった。コロナ禍以前は外国人に特に人気で、早めでないと希望の宿泊日が取れないという。リゾート地のホテルに人気が集まる一方で、江戸時代からの本物の宿を望む観光客も増えているようだ。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

沓掛博光

沓掛博光(くつかけ・ひろみつ) 旅行ジャーナリスト

1946年 東京生まれ。早稲田大学卒。旅行読売出版社で月刊誌「旅行読売」の企画・取材・執筆にたずさわり、国内外を巡る。1981年 には、「魅力のコートダジュール」で、フランス政府観光局よりフランス・ルポルタージュ賞受賞。情報版編集長、取締役編集部長兼月刊「旅行読売」編集長などを歴任し、2006年に退任。07年3月まで旅行読売出版社編集顧問。1996年より2016年2月までTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」旅キャスター。16年4月よりTBSラジオ「コンシェルジュ沓掛博光の旅しま専科」パーソナリィティ―に就任。19年2月より東京FM「ブルーオーシャン」で「しなの旅」旅キャスター。著書に「観光福祉論」(ミネルヴァ書房)など

沓掛博光の記事

もっと見る