そもそもリスク云々考える暇があるなら、目の前の人を助けろ
2020年11月09日
駅や商業施設。交番や役所など、様々な場所に設置され、多くの人たちの命を救っている自動体外式除細動器、略して「AED」。
このAEDに対してTwitterなどで「男性は女性にAEDを使うべきでは無い」という趣旨の言説が流れていることをご存じだろうか?
そう主張している人が言うには「男性が女性にAEDを使うと、セクハラなどで訴えられるリスクがある。だから使うべきでは無い」と言うのだ。これは一体どういうことなのだろうか。
彼ら曰く「フェミが女尊男卑の社会にしたため、男性が女性に何かすれば、すぐにいちゃもんをつけられる。故に、たとえ女性が倒れていても助けない方がリスク回避として妥当」ということらしい。
これを「女性に対する偏見や差別ではないか」と批判されると、彼らは「私たちは差別をしているのではない。ただリスクを回避しているだけなのだ」と主張する。だが、そこで語られている「リスク」とは、まさしく女性に対する偏見そのものであることは言うまでもない。
彼らの主張は結果として男尊女卑的主張であっても、本人たちにその意思はない。彼らは自分たちは「愚かな他人よりも物事を冷静に判断している」と考えている。そしてそれだけの根拠があると確信している。
その根拠は「SNSでフェミが、男にAEDを使われるのは不愉快だと言っていた」とか「男性が女性にAEDを使ってセクハラで訴えられた事例があるという噂」程度のものである。
「幼女とえちえちしたいよぉ」などとSNSで頻繁に書いている人が、実際に幼児に性的なイタズラをしている確率は極めて低いのと同じで、実際には誰かがSNS上で何を言おうとそれはSNS上での表現に過ぎない。女性が仮にSNS上で過剰な男性批判をしているとしても、それは実態からは遠く離れてた空想のようなものである。
また事実として「AEDを使った男性が女性にセクハラだと訴えられた」という裁判例は見つからない。いずれにしても批判の根拠になるようなものではない。
だが、ネットにはいかに男性が女性によって叩かれ続けているか、女性が卑劣にも男性を貶めようとするか。
彼らはそうした情報ばかりを集中的に見聞きして、被害者意識を日頃から強めているために、現実からかけ離れたそうした事柄を「現実」であるかのように受け止めてしまっている。
「女性はAEDを使って欲しくば、セクハラを騒ぎ立てるな!」
こうして文字にしてしまえばあまりにばかばかしい話ではあるし、まったく交換条件として成立していないのは明らかであるのだが、彼らは「自分こそ賢いのだ」と信じて真剣に主張しているのである。
こうした「賢く真剣な人たち」を僕は他の場所で目にしている。それは食品添加物の危険性を主張する人たちだ。
彼らは賢いので、驚くほどに「あの食品添加物には発がん性がある」とか「現代人はたくさんの保存料を食べているから、死体が腐らない」など、食品添加物の危険性を知っている。
しかし残念なことにその危険性が
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