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ケータイ値下げは、経済対策の目玉になりえない

何より必要なのは消費者自身の〝他人任せ感〟からの脱却だ

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 菅政権はコロナ禍経済対策の一つとして、今さらのようにケータイ料金値下げを打ち出した。そして2020年12月現在、既存各社の「対応」という形で新料金プランが、大筋「楽天叩き」というニュアンスで提示された。その価格帯や販売戦略の是非はここでは論じない。各社とも経営的にできることをやっているのだから、事業免許交付者たる政府が強く推奨するまでもなく、まさに競争政策として適切な状態だ。コロナは関係ない。菅首相が総務大臣経験者だったことも関係ない。そして後述のように、経済浮揚策とも、到底関係がない。

 だから、新政権の経済政策の目玉の一つとみる必要もない。目玉のように取り扱っている政府の発表の仕方と報道のされ方は、かえって新政権自らの足を引っ張っているように見える。経済浮揚策の結果責任を負えない経済官庁が許認可対象の民間企業を圧迫することは、おそらくこの25年くらいの過去を振り返っても、まともな成果を生み出してきていない。直近のアベノミクスでも、規制緩和と成長産業探しが何をもたらしたか明らかなところだ。

「利用者が『安くなった』と実感できなくては全く意味がない」と携帯各社の対応を批判してきた武田良太総務相=2020年12月4日、首相官邸

マクロな数値しか見ない経済官庁

 ケータイ料金に話を戻す。思えば20年ほど前、ケータイとネットにおいて世界最先端の国にならねばならない、ならねば外資に席巻されてしまう、だからケータイ事業者を含む日本のIT企業の国際競争力を強化すべし、という政策が推進されていた。種々の規制緩和を踏まえながら、各社のIT関連事業強化による投資能力の強化=外資防衛策、その結果ケータイについては料金値下げの原資を作り出せ、というミッションが確かに存在していた。

 筆者も含めて山ほどの事業開発・改善・撤退判断のコンサルティング業務が存在した。2020年末に至り、ケータイのビジネス世界にその必要はもうない。各国のケータイ事業者とはどんな存在で、プラットフォーム事業者とはどんな存在で、その上に乗っているサービス事業者とはどんな存在なのか、もう世界中でわかってしまったことばかりだ。

 あとは消費者がどうしたいかだけだ。約25年にわたり消費者が支払ってきた毎月のケータイ料金は、イエデンの置き換えメディア(ケータイ回線のみ保有)ともなり、電気・ガス・水道同様のライフラインへの必須支払い項目となった。だからそこにメスが入れば余剰額が消費に回る、というロジックは、マクロな数値しか見ない経済官庁内でいかにも考えそうなことだ。

 消費の感覚とは、もっと取り扱いの難しいものだ。それは一連の「GoTo」をめぐる消費者の気まぐれを見れば明らかだ。具体的には行きたくもない予約をして、割引(政府財政出動による費用補填)がなくなったとたんにキャンセル。その旅行先やお店に行きかったわけではないことを自らさらけ出した形だ。この消費行動を愚か、コロナ感染懸念だから当然、と呼ぶ人たちに、消費経済を取り扱う資格はない。

 ケータイ料金も、値下げされればいいに越したことはないと長らく誰もが思いながら、いくら払っているのかの詳細分析と細やかな対応策を行うでもなく、圧倒的多数の人たちが毎月言われるがままに支払ってきた。契約に基づく従量制課金(〝使い放題〟もその変形にすぎない)は、日常の生鮮品のように個々買い切り型で支払う商品と違って、支払い行為自体を無感覚にさせる。そしてこの従量制課金の消費支出は前述のライフラインに対する支出がほとんどを占める。

 〝使い放題〟も含めた従量制課金の下では、消費者自身が支払い額節約を努力しようとすると、高度のリテラシーと自制心が必要になるものだ。世に報道されているような、ケータイ事業者乗り換えで少しでも安さを追求する、という能力のある消費者は限られる。毎晩のおかずを一品削れたとしても、ネットを検索できずに、親しい人と通話やLINE等のメッセージ送受信をせずに、日本人の多くは精神的・社会的に生きていけなくなっている。

ライフラインのための料金低減策は消費者に響かない

 消費者が、支払い行為自体に無感覚になっている支払項目を、節約して浮かせた金額だけきっちり消費するはずなどない。ライフラインのための料金低減策が消費者に響かないことは歴史が証明している。電気とガスの相互代理業も、遠い昔のIT業界で語られた〝トリプルプレイ〟

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