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20年の代表戦4試合を最終予選へつなげられるか

サッカー日本代表・森保監督欧州遠征帰国後独自インタビュー

増島みどり スポーツライター

拡大オンラインで取材に応じる日本代表の森保監督

カメルーン戦は鼻息荒いスタートに、1勝2分1敗の課題と収穫

 サッカー日本代表・森保一監督(52)へのインタビューは、11月17日のメキシコ戦(0-2、日本時間18日、オーストリア・グラーツ)から帰国し、新型コロナウイルス感染予防の自主隔離期間中に、オンラインで行った。

――10、11月2回の遠征で4試合を消化し、2勝1分1敗。収穫、課題をどう分析しますか。

森保 (コロナ禍で国内の選手を呼べず)ヨーロッパのクラブに在籍する選手限定でのチーム編成でしたが、より多くの選手たちにピッチに立ってもらい、チームのコンセプトを共有し、ミーティングや練習だけではなく戦術的にもトライすべき点を試合で感じられたのは良かった。攻守において、コンディションの良い相手と戦えて、世界で勝っていくために、またアジア(予選)で確実に勝っていくためにやるべきサッカーを共有できたのが収穫だと思う。課題以前に、例えば1試合目のカメルーン戦(0-0)は久々の試合で、喜びや、コロナ禍で苦しい思いをされている人たちのために全力のプレーを、といい意味で鼻息荒く戦った。

――ほぼ1年ぶりとなったカメルーン戦で、懸命に全力を出そうという、欧州でプレーしている選手たちの武骨なプレーは印象に残りました。その反面、ボールをせっかく奪ったのに次どうしよう、と攻撃に効果的に繋がらない場面も多かった。

森保 最初の試合は、全力のプレーを見せてくれましたが、少し勢いが先走ってしまい攻守の繋がりはありませんでした。ただ、とにかく全力で、数的不利な局面ができても、ボールに行っていたから何とか止まった。そのおかげで課題が明確になった面もある。
 コートジボワール戦から、良い距離感で守備をし、効果的にプレッシャーをかけてボールを奪い攻撃を仕掛け、マイボールを失わない回数を増やす。11月のパナマ戦でも、あの試合が生きたはずです。
 やはり約1年ぶりに集まって、1、2回の練習で合わせていかなくてはならなかったし、合わないというのは想像していた。自分たちの思いをまず表現し、全力でやったからこそ成果と課題もはっきりしたと思う。欧州の強豪国ですら、(コロナ禍で)間があいてしまい、代表で合わせるのは簡単ではないと「ネーションズリーグ」(9月開始、欧州各国代表による)を観て感じていたので、(日本代表でも)落ち着いて色々なことを見られた。

森保一(もりやす・はじめ) 1968年8月23日生まれ、長崎県出身。長崎日大高から87年マツダサッカークラブに。91年プロ契約し、Jリーグサンフレッチェ広島の中心選手として活躍した。93年には米国W杯アジア最終予選で「ドーハの悲劇」を体験する。02~03年にベガルタ仙台でプレーして引退。日本代表として35試合に出場するなど「ボランチ」(攻守のかじ取り)という役割を定着させたMF。07年に広島のトップチームコーチ、12年に同監督に就任すると、4年間で3度の年間王者に導き13年には史上4人目のJ1リーグ連覇を達成した。コーチを務めた18年W杯ロシア大会後、日本代表監督に就任し、東京五輪のメダル獲得と、22年W杯カタール大会出場を兼任監督として狙う。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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