人生の突然のステップダウンに泣いた私が新しい生き方に気づくまで
退職、ガン、大けが……ステップダウンで見えた不安の時代を生き抜くために大切なこと
山口ミルコ エッセイスト・作家
かつて幻冬舎の編集者だった私が会社に辞表を出したのは、12年前の今頃…のことだった。ちょうど干支(えと)が一巡した。リーマンショックが起こったあとで、世の中の会社はどこもたいへんだったと思う。
コロナショックの現在のように、会社がつぎつぎ人を切っていった。
そんな頃に私もステップダウン…いわゆる「降格」をされたらしいのだが、それはあとになってわかったことで、当時、本人は理解していなかった。

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退社と同時にガンが発覚
誰にも相談することなく、一人で退社を決めた。
自分で決めたのだから誰にも文句は言えないが、時間が経つほどに、「あれはいったいなんだったのかなぁ…」と思うようになった。

『バブル』(光文社)
当時のことを、退社から10年たって初めて書いた。それがこのたび刊行された『バブル』(光文社)である。ようやっと書くことができたのだが、当時はわけがわからず、混乱していた。
お恥ずかしい話だが、会社の創業期から愛をもってやってきた自分を思うと、なんどでも泣けた。
その思いがぶり返しては、私を苦しめた。
そうこうするうち、わが体調の異変に気づく。胸のしこりが、痛み出したのである。少し前からあった胸のしこりが、退社がらみのストレスによって、肥大化したらしかった。
病院へは一人で行った。乳ガンの宣告を正式に受けた。その帰り道、こわくてこわくて、わんわん泣いた。
私の人生は、一変した。
「退社後の日々」はそのまま「闘病の日々」となり、手術、放射線、抗ガン剤、ホルモン剤…といったガン治療のフルコースを、受けた。
激しいおう吐に苦しみ、全身の毛が抜けて丸坊主になった。
闘病の記録は拙著『毛のない生活』(ミシマ社)に書いたのでここでは詳しくふれない。
「外へ外へ」が一転、ひきこもる生活へ
1年半にわたるガン治療はまちがいなく、私にとって人生大転換の、重要なポイント地点だった。それまで出版社の編集者として20年、外へ外へと向かって生きてきた自分は、ひきこもるしかなくなった。
私がガン治療を始めた2009年は、新型インフルエンザ大流行の年だ。抗ガン剤によって人工的に免疫を抑制していた私は、出かけるときには必ずマスク・帽子・手袋・メガネを着用した。ガン治療を終えて以降も<再発>におびえ、防備していないと不安だったので、いつもそれらを身に着けていた。
このたび新型コロナウイルスまん延にあたり世でうたわれた「新しい生活」――手洗い・うがい・除菌、3密と不要不急の用を避けステイホーム……などといったものも、“ガンサバイバー”にとっては「一丁目一番地」の、私自身すでに10年以上前からつづけている習慣である。