メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

人生の突然のステップダウンに泣いた私が新しい生き方に気づくまで

退職、ガン、大けが……ステップダウンで見えた不安の時代を生き抜くために大切なこと

山口ミルコ エッセイスト・作家

自分はもう<用済み>のつらさが……

 会社をやめて、ちっともさみしくなかったといえばウソになる。前はあんなに忙しかったのに、ほとんど誰も連絡してこないのだから。

 みんなは<会社にいる私>に用があったのであって、<会社をやめた私>になど用はない。自分は<用済み>だ。そう思えて、つらくなった。

 <用済み>を受け入れるのに、それなりの時間はかかっている。それでも、時間がたつにつれ、これぞ自分にとって正しい状態なのではないか? と、思うようになった。

 <会社をやめた私>のほうが、しっくりくるようになっていったのである。

 朝は携帯アラームや社長からの電話で起きることはなくなり、しぜんに陽の光で目覚める。家族とともに規則正しく食事をとって、その日にすべきことをやり、夕方には雨戸を閉めて、日が越さないうちに眠る。

ほんとうにやりたかったことに気づいて

 過酷な治療によって身体が思うように動かなかったこともあるけれど、静かに家にいる生活が長くつづくなかで、私はしだいに自分自身のそういえばほんとうに好きだったことや、ものや、やりたかったことに気づいていった。

 毎日のように芸能人や文化人といった人びとに会い、会食ではステキなお店でごちそうをいただき、国内外のあっちこっちへ出掛けていたときには気づいていなかったことに。
たとえば私はあんがい勉強が好きだった。会社時代の同僚や友人には信じてもらえないだろう。

 きっかけはガンだ。私は自分がなぜガンになったのかをどうしても知りたかったので、あらゆる本を読んでみた。それまで編集者として時代を疾走するためだったエネルギーをぜんぶ、ガン研究に振り向けた。

 たくさん読んでもけっきょくナゾはとけなかったのであるが、それでもたくさん読むという体験そのものが、私を丈夫にしていった。

 その後、私はロシア語に目覚める。私の父はかつて総合商社のニチメン(現・双日)で旧ソ連との商売(北洋材)に携わっていたので、実家にソ連・ロシアの本がたくさんあった。退社と闘病で実家に帰って、そのことに気づく。そういえば自分の名前もロシア語だった。

 ロシア語学習を始め、ロシアへも行くことになる。そうしたなかで、私は父の仕事とその時代――を時間差で見つめることとなった。私自身のしてきた仕事と時代も、そこに重ねながら、いろんなことを考えた。

本を「作る」人から「書く」人に変化

 そして私は「書く」ようになった。

 本を「作る」人から「書く」人へ、この12年のあいだに職種を変更……。会社ではなく自分に時間をかけた結果、そう変わったのである。

 本を読み、じっくり考え、自分自身と対話する。その繰り返しによっての、変化だった。

 本を「作る」と「書く」は似ているようで、ぜんぜんちがう。バンカーがパン職人になるくらいちがうと、いまの私は思っている。

拡大Dmitry Demidovich/shutterstock.com

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

山口ミルコ

山口ミルコ(やまぐち・みるこ) エッセイスト・作家

1965年東京生まれ。専修大学文学部卒業後、外資系企業勤務を経て、角川書店へ。「月刊カドカワ」等の編集に携わる。94年2月、創刊メンバーとして幻冬舎へ。創業期より編集者・プロデューサーとして、芸能から文芸まで幅広い出版活動に従事。五木寛之、江國香織、小川洋子、さくらももこ、辻仁成、中山美穂、藤原紀香等を担当し、ベストセラーを連発。書籍編集のほか雑誌の創刊や映画製作に多数かかわり、海外留学旅行社の広報誌「wish」の編集長を10年にわたり務めた。2009年3月に幻冬舎を退社した矢先、乳がんを発症。その経験をもとに闘病記『毛のない生活』(ミシマ社)を上梓、作家デビュー。以降、エッセイなどを執筆するほか、大学などで編集講義を行う。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです