「創られた伝統」と新しい伝統
2020年12月29日
江戸時代にも正月に寺社に参詣する習慣はもちろんあったが、元旦や三が日よりも、それぞれの寺社の初縁日が重視されたし、参詣先も毎年変わる「恵方詣」が盛んだった。明治に入り鉄道の登場によって郊外レジャーの性格も加わった「初詣」がそれに取って代わるようなる。神奈川大学准教授の平山昇さんによれば、さらに続いて、大正期になると恵方詣にとって大きな打撃が相次いで加わったという。(聞き手/樋口大二・朝日新聞オピニオン編集部)
――「恵方詣」が「初詣」にとってかわられる次の第二撃はなんですか。
平山 はい。それが大正9(1920)年の明治神宮の創建と、大正12(1923)年の関東大震災です。鉄道による第一撃は関東も関西も同じで、むしろ私鉄の競争がより激しかった関西の方が強かったのですが、第二撃は関東では決定的でした。明治天皇に対する国民の尊敬の心は当時は非常に篤かったですから、人々にとって明治神宮は別格でした。ほかのお寺や神社はともかく、明治神宮が恵方にあたるかどうかなんてことは、もう関係ないわけです。明治神宮ができたことで、恵方にかかわらず毎年明治神宮にお参りするという形が生まれていきました。
――住んでいるところから、明治神宮がたまたま恵方に当たる人はいたでしょうが、明治神宮のほうから「今年は××から見て当社が恵方です!」と宣伝する必要はないわけですね。
平山 もし、そんなことをしたら逆に非難を受けたでしょう。新聞記事をみると、芸者さんが明治神宮に恵方詣をしたという記事が一件だけ見つかりましたが、それ以外は「明治神宮に恵方詣した」という記事はありませんでした。
明治神宮ができた翌年の正月から、新聞記事や広告から「恵方」の文字が激減しているんです。明治神宮の出現によって、「恵方詣」という言葉自体が消えていきます。主要紙の正月元日の参詣についての報道を調査してみましたが、大正9年以前は最も多い用例が「恵方詣」でした。ところが、大正10年以降になると、明治神宮はもちろん他の神社仏閣についても「恵方詣」と表現する記事が減っていきます。もし東京からの恵方に当たっていても、「初詣+東京から恵方」というように恵方をせいぜい初詣の付加価値のように表記する「ハイブリッド型」が主流となります。
京浜電鉄――現在の京急ですが――のお正月の広告で使われたワードを調べてみると、もともと恵方に当たっている年には「恵方詣」、そうでない年には「初詣」としっかり使い分けていたのですが、大正10(1921)年になると「初詣」と「恵方詣」を両方使うハイブリッド型が初めて出現しました。京浜電鉄は別に明治神宮に直接アクセスするわけではないんですが、これ以降はどんどん「ハイブリッド型」が増えていきます。大正10年以降は、川崎大師が都心から見て恵方にあたる年であっても、「初詣」という言い方のほうがメジャーになって、「恵方」はついでに付け加えられるというようになっていったんですね。
――都心の伝統ある有名どころはみんな東側になってしまいますね。
平山 そういうことです。でも電車に乗れば渋谷に出られて、ちょうど震災の3年前にできていた明治神宮にすぐ行ける。中央線でも京王線でも新宿まで出ればすぐです。だったらそれでいいんじゃないか、となっていったのでしょう。
ちなみに恵方詣と一緒にすたれてしまった正月の習慣が「回礼(廻礼)」です。元日からのご挨拶まわりですね。もともとは歩いたり、人力車でいけるくらいのところでみんな完結して暮らしていたのが、震災後、都市が拡大してしまい、あの人は小田急線、あの人は東横線ということになったら、とても回りきれない。もう年賀状――年賀状は日清戦争のころから定着していました――で済ましちゃえということになった。関東大震災によって東京の都市のあり方が決定的に変わったのです。「あれで江戸時代が終わった」という人もいるくらいで、江戸にとどめを刺したのが関東大震災だということになると思います。
平山 明治神宮は現在でも例年初詣客日本一ですが、戦前と戦後ではやはり違いもあります。初詣は戦前よりも戦後の方がはるかに増えているのに対して、戦後は秋の例大祭の人出が戦前のピークを超えたことは一度もないんです。つまり「明治天皇をお祀りしている」ということがよくわからない人まで、わんさか集まってきている。明治天皇ゆかりの日取りということなら、一番重要なのは明治時代に「天長節」だった11月3日を中心とする秋の例大祭です。11月1日も大正9年に鎮座した日ですから大切ですね。11月1~3日は毎年、秋の例大祭として明治神宮にとっては最も大切な日取りで、戦前は初詣と匹敵するくらいたくさんの参拝者を
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