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メディアが批判された2020年の終わりに思う一人の記者のこと

ジャーナリストとは何かを教えられた中日新聞の宇治敏彦さん

山本章子 琉球大学准教授

 「政治の劣化」が言われるなか、2020年はメディアの取材慣例にも批判が集まった一年でもあった。

 たとえばフリージャーナリストの江川紹子氏が、「まだ聞きたいことがあります」と声を上げた直後に終了した2月29日の安倍晋三首相会見。官邸による事前通告・一問一答ルールを許してきた、内閣記者会が批判のやり玉にあげられた。

 東京高検の黒川弘務・前検事長がコロナ感染拡大による緊急事態宣言中の5月1日と13日、産経新聞記者や朝日新聞社員と賭け麻雀。3年前から続けていたことが発覚したが、産経と朝日の対応に自己批判や自浄作用が欠如しているとの非難が多く寄せられた。

 菅義偉首相が10月3日に開催したパンケーキ朝食会(「パンケーキ懇」)。大手新聞・通信社・テレビの番記者や幹部が首相を囲む「オフレコ懇談」は、もはや大手メディアと権力の癒着の象徴である。

 批判するのは、フリージャーナリストや雑誌、ネットメディアだけではない。SNS上の一般の声の厳しさはそれ以上だ。大手メディアの「内輪の論理」は成り立たなくなっている。では、記者とはどうあるべきなのか。

 それを考えるために、ある一人の記者の軌跡をたどってみたい。

拡大新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大への対応などについての2月29日の安倍晋三首相(右端)の記者会見=2020年2月29日午後6時、首相官邸

政治の見方を教えてもらった師

 12月11日は宇治敏彦さんの一周忌だった。享年82歳。中日新聞社相談役で、専務・東京本社代表だった方だ。10年間の短い付き合いだが、私が唯一尊敬する人物であり、政治の見方を教えてくださった師である。

 宇治さんは華々しい役職を歴任したが、彼から肩書き自慢を聞いたことはない。田中角栄首相や鈴木善幸首相の政策ブレーンだったが、1973~74年にかけて田中内閣の政策を手がけた事実を初めて明かしたのは、2013年に著した『実写1955年体制』の中でだ。

 自民党では宏池会担当が長かった宇治さんは、田中派担当の同僚に配慮されたのだろう。約40年たって、ようやく事実を書き残そうとした。

 ところが、『実写1955年体制』刊行後、田中派を担当していた先輩から、怒りの電話がかかってきたという。お互い、現役の記者を退いてから何十年もたつというのに、元同僚は骨の髄まで派閥記者のままだった。宇治さんはあきれていた。

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

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