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メディアが批判された2020年の終わりに思う一人の記者のこと

ジャーナリストとは何かを教えられた中日新聞の宇治敏彦さん

山本章子 琉球大学准教授

本の企画を通じて知り合う

拡大『実写1955年体制』(第一法規)
 ちなみに、私と宇治さんの付き合いも、上記の本の企画がきっかけだ。当時、東京の出版社で編集者をしていた私は、大平正芳首相の娘婿で秘書官を務め、その死後は地盤もついだ森田一氏のオーラルヒストリー、『心の一燈 回想の大平正芳 その人と外交』を企画編集したところだった。

 これは、いわゆる「お付き合い出版」で、業務として評価しないと上司から言われながらの企画だったが、インタビューから文字おこし、編集を手がけた労作ということもあり、いわゆる“書評工作”も孤軍奮闘したものだ。

 そうした折、同僚からお名前を聞き、見ず知らずの東京新聞論説委員である宇治さんに、本と手紙を送って書評をお願いしたのだ。

 宇治さんは、『心の一燈』を社説で取り上げてくれた。そして、「自伝を出したいと思っているので手伝ってほしい」と頼まれた。それから2年、上司の目をかすめて定期的に日本記者クラブ(宇治さんの事務所があった)へ通い、宇治さんの原稿を読んで助言したり、彼の手持ちの資料を整理する作業を進めた。

 上司によって却下された『実写1955年体制』の企画は、詳細はいえないが「だまし討ち」の形で社内を通したので、会長と社長から直々に怒られた。通ったものはしょうがないので、企画は他の編集者が担当することとされ、私は編集と関係ない部署に異動となる。宇治さんはこのことを知らない。

好きな言葉は「離見の見」。権力と距離感が大事

 宇治さんほど、政治にさめていた記者はいない。大学時代から版画を彫っていたことと、関係しているかもしれない。世界的に知られる版画家である棟方志功氏に認められるほどの才能を持ち、文化部記者を志して東京新聞社に入ったが、2年目にしてスクープをものして本社政治部に配属。本人はそれを不本意に感じていた。

 宇治さんが好んだ言葉は世阿弥の「離見の見」だ。踊りながら同時に踊る自分の姿を客観的に見るという意味で、「政治家との緊張関係を忘れた派閥記者は、派閥記者である以前に新聞記者でなくなっている」が持論だった。

 宇治さんいわく、権力者には「自分を批判する新聞は嫌いだが、自分と仲良しの新聞記者は決して嫌いではない」者が多い。自民党副総裁だった金丸信氏のように、派閥担当記者を私兵かスパイのように使おうとする人間もいたという。記者のほうにも、「俺こそが〇〇に一番食い込んでいる」と、会見よりも政治家と二人きりで会うことを重視する者がいる。宇治さんは、そうした記者に「ミニ政治家気取り」と批判的だった。

 実際、政治家との関係を利用して、社内で出世して役員にまでのぼりつめる記者もいるし、政治家や評論家に転じる記者も多い。宇治さんも、鈴木善幸首相から秘書になるよう誘われたが断った。それでも、鈴木首相から頼まれて助言することは多かったが、批判記事も書いている。

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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