メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

コロナ禍だからこそ生まれた、新しい成人式

新成人たちにとって本当に必要だった式の形

赤木智弘 フリーライター

 沈静化を見せない新型コロナウイルス。新型コロナで始まるリードも何度も使って手垢が付いて飽き飽きではあるが、本当に私たちの生活は大きな変化を余儀なくされている。

 もちろん1月の恒例行事「成人式」もその例外では無く、各地で成人式が中止になったり、開催を延期したりしている。

 そんななか、大分県大分市では式典などはすべて中止し、市長らによるお祝いのメッセージをYouTubeやケーブルテレビ、商店街のモニターなどで公開する形での成人式を行った。しかし、フタを開けてみると、例年の会場であるホール前に、晴れ着を着た新成人たちが自主的にあつまり、交流を行ったというのである。

 このニュースを見たときに、僕は素直に感心した。ああ、これこそが「新成人にとって、本当に必要だった成人式」だったのだと。

拡大成人式典が例年開かれているホール前に集まった新成人たち=2021年1月10日、大分市

「誰も得をしていないイベント」だった成人式

 僕は成人式の存在意義には常々疑問を持っている。

 表向きは新たに成人になる若者を祝う式典ということにはなっているが、実際のところは地元の政治家が若者に対して顔を売る場でしかない。

 そんな意味の無い式典を「そういうものだから」と多くの若者は我慢して参加しているし、市町村側も記念品やイベントで若者を釣って、なんとか形にして延々と続けているという、僕から見れば「誰も得をしていないイベント」であった。

 だからこそ、そうした退屈な式典に我慢できず、いわゆる「荒れた成人式」を作り出してしまう若者たちもいるのだろう。あれは彼らなりに無味乾燥な成人式に対して、なんとか出席する意味を見いだそうとしての行為ではないかと考えている。

 また、2022年の4月からは成人年齢が18歳に引き下げられるが、成人式はこれまで通り20歳で行うのか、18歳に引き下げられるのかという問題も今後出てくる。成人式というものは、退屈かつトラブルの種でしかない、いずれ消えゆくはずのイベントであると僕は思っていた。

 しかし、中止になったはずの会場に新成人たちが集っている様子をみると、成人式は決して単純に若者が望まないイベントではなかったということだ。

 では、若者がなぜ成人式に行くかと言えば、それはもちろん偉い人の挨拶を聞きたいから行くのではなく、中学や高校の同級生に久しぶりに会えるから行くのである。

 小中高と一時的に一緒に時間を過ごした同じ学年の旧友たちが一同に集う機会というのは、成人式を逃してしまえば、その先は一生無い。

 新型コロナで数多くのイベントが中止になっているが、一生に最後の機会を逃すという点では、成人式の中止というのは巻き込まれる当人たちにとって、最も失うものが多い中止である。

 だからこそ中止は知っていても、これだけ多くの新成人たちが成人式が行われるはずだった会場付近に三々五々集まったのだろう。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

赤木智弘の記事

もっと見る