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「祈り」はコロナの時代を生きる者の光景~不安の日々に絶望しないために

先が見えないコロナ禍の中、祈ることが白々しく感じてしまう時だからこそ……

奥田知志 NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

沈黙する人は祈る人になる

 生物学者の福岡伸一さん(毎日新聞2020年6月15日)は、「ウイルスは元々、私たち高等生物のゲノムの一部でした。それが外へ飛び出したものです」だと言う。起源が私たち自身であるなら、それを撲滅することなど出来ない。

 「ウイルスに打ち勝ったり、消去したりすることはできません。それは無益な闘いです。長い進化の過程で、遺伝する情報は親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平に運ぶという有用性があるからこそ、今も存在している。その中のごく一部が病気をもたらすわけで、長い目で見ると、人間に免疫を与えてきました。ウイルスとは共に進化し合う関係にあるのです」

 福岡さんの言葉に少し慰められつつも、「長い目で見る」まで、どれぐらいの感染者と重傷者、そして死者を私たちは目にすることになるのか。コロナ禍が深刻なのは、病気であれ、経済悪化であれ、それが「死」と直結するからだ。死は、私たちを無口にさせる。

 「『いのち』を感じ直す時、私たちに必要なのは言葉ではない。沈黙である。論(あげつら)いではなく、祈りである」(「死者の沈黙」文學界―創刊100号記念特集号)

 これは、随筆家であり東京工業大学教授の若松英輔さんが、ある雑誌に寄稿された言葉の一部である。

 この言葉は2020年11月16日に起きた渋谷でのホームレス女性殺害事件に関して書かれたものだ。死と向かい合う中で「いのち」を感じ直している今の私たちにも通る言葉だと思う。

 コロナが「死」を思わせる。私たちは、当たり前ではない、いったん失われると二度と戻ってこない「いのち」を感じ直している。その時、私たちは沈黙し、その沈黙が祈りへと誘う。沈黙する人は祈る人となる。

拡大ホームレスの女性が殺された現場。バス停のベンチに座っていたところ、男に殴られたという=2020年11月16日、東京都渋谷区幡ケ谷2丁目

祈りは叶わないほうが多い

 「早くコロナが過ぎ去りますように」「元の暮らしに戻れますように」「愛する者を癒してください」……。

 コロナ禍において、多くの人がそのように祈っている。これを、「ご利益宗教だ」と否定することは出来ない。人間の正直な叫びであるからだ。そもそも苦しい時に頼めない神であるならば意味がない。

 だが、そういう祈りが、人びとをいっそう苦しめることもある。なぜなら、どれだけ熱心に祈ろうとも、祈りが叶(かな)うとは限らないからだ。正直に言うと「成就」しないほうが多い。

 念仏以外のものを「雑行(ぞうぎょう)」として退ける浄土真宗では、「祈り」に意味を見出さない。なぜなら、「祈り」は神仏に自分の願いを届けることであり、常に「自己中心」の心から起こるからだ。

 だから、「祈り」ではなく、「自己中心」を根本的に解決してくれる阿弥陀如来への呼びかけ、すなわち「念仏」が必要とされる。。「祈りからの解放」が「念仏」なのだ。本当にそうだと思う。

語るのではなく聴く

 それでも私は、今日も祈り続ける。それは、祈りが単に「自己中心」の行為ではなく、時に他者と出会わせ、自己相対化の営みともなると考えるからだ。

 「信頼のおける宗教」であるかどうかは「祈り」の捉え方による。「祈り」を「自己中心」、あるいは「自己実現」の道具と考えている宗教があるが、果たしてそれでいいのか。「請願成就」が宗教の評価ポイントだと考える人は少なくないが、そのような「祈り」が持つ落とし穴は、浄土真宗の親鸞が指摘する通りだ。

 旧約聖書に登場する「モーセの十戒」にこんな言葉がある。「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」(出エジプト記20章)。有名な「偶像礼拝の禁止」である。「自分たちの神だけが本当の神で、あとは全部偽物だ」という一神教の傲慢さを示しているようにも読めるが、重要なのは「自分のために」を禁止している点にある。

 人間は自分のために神を創り、それに祈る。これを偶像(偽物)という。人の願いを叶えるために造られた神は、もはや人の奴隷に過ぎず、それによって人は自らを神にさえする。

 確かに祈りは、自分の願いを神仏に届けることである。だが、それ以上に「祈り」は、神仏の意志を聴こうとする「もがき」なのだ。人は祈りの中で、「しょせん人間にはわからない―神のみぞ知る」という現実を知る。その時、人は沈黙するしかなくなる。

 語るのではなく聴く。これも「祈り」なのだ。

拡大theskaman306/shutterstock.com

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筆者

奥田知志

奥田知志(おくだ・ともし) NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師

1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3400人(2019年2月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。その他、社会福祉法人グリーンコープ副理事長、共生地域創造財団代表理事、国の審議会等の役職も歴任。第19回糸賀一雄記念賞受賞な ど多数の表彰を受ける。NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」にも2度取り上げられ、著作も多数と広範囲に活動を広げている。著書に『もう一人にさせない』(いのちのことば社)、『助けてと言える国』(茂木健一郎氏共著・集英社新書)、『生活困窮者への伴走型支援』(明石書店)等

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