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近代五輪125年 あり方そのものが問われる歴史的転換期 

〝東京〟からの情報発信が重要なカギに

増島みどり スポーツライター

 新型コロナウイルスの感染拡大によって1月9日、緊急事態宣言が11都府県に発出され、東京オリンピック・パラリンピックへの世論調査が各報道機関でも次々と行われ、その結果が発表されている。

 「NHK」が1月13日に公表した世論調査では、「五輪を開催すべき」が16%、「中止すべき」が38%、「延期すべき」は39%と、8割近くが「開催すべきではない」と回答している。また「共同通信」が電話で行った調査でも、「今夏開催」は昨年調査から大幅にポイントを下げ14.1%、「中止」は35.3%、「再延期」が44.8%と、中止と延期を合わせれば80.1%が開催はできないとした。「JNN」の調査(1月18日公表)では、「できると思わない」が81%だった。

開催、延期と中止 調査の選択肢は2つだけなのか

消灯した五輪マークのオブジェ。東京都の飲食店などへの営業時間の時短要請に合わせ、レインボーブリッジ(後方)とともに午後8時に明かりが消えている=2021年1月23日午後8時、東京都港区のお台場海浜公園

 新型コロナウイルスの感染状況が収束に向かわない中、当然の結果だ。今は、重症者が減少せず、施設療養、入院もできない人たちへの緊急対応を優先すべき時である。誰もが分かりきっている前提だ。

 一方で、一度延期した五輪について「開催すべきか中止すべきか」、「開催できるかできないか」といった二者択一の設問で議論されている点には違和感を抱く。「すべきか、すべきではないか」と聞かれれば、コロナ対策との優先順位が頭に浮かぶし、「できるかできないか」と問われれば、様々な問題点や課題の解決がどれほど困難かを考えてしまう。

 「開催か中止か」「どういう形なら開催できるのか」は、IOC(国際オリンピック委員会)、東京五輪組織委員会、東京都、スポーツ界が十分に議論、提示すればいい難問で、実際に検討は行っている。

 世論調査のように一般的な回答を求められる側として、「できるかできないか」ではなくて、「オリンピックを東京で観たいか、観たくないか」を知りたいと願う。昨年11月、五輪のひとつのテストケースとして、中国、米国、ロシアの3カ国からトップ選手を招待して行われた体操の国際大会の閉会式で、内村航平(32)が「(世論調査で「できない」が80%を超えている状況を)しようがないとは思うけど、できないじゃなく、どうやったらできるかを考える。そういう方向に変えて欲しい」とスピーチした。

 夏季では1964年の東京大会以来57年ぶりに日本で開催される五輪を何とか観たいと思う先に開催がある。公の舞台で初めてといっていい強い主張をあえて口にしたレジェンドに、あの時、感染対策を厳重に行っていた東京代々木第一体育館の観客から、拍手が鳴りやまなかった。

 あれから2カ月経った今、アスリートたちは「我がままだ」「コロナ対策へ税金を使うべき」と責められ、これまでとは違った不安を抱えている。

東京オリンピックに足りない国内外への発信力

 世論調査を引用する海外メディアから「中止が内々に結論付けられた」(英紙タイムズ電子版)、「第二次世界大戦後 初めてオリンピック開催中止に追い込まれるかもしれない」(ニューヨーク・タイムズ紙)と記事が報じられ、その度に、政府、組織委員会はお約束のように「IOCと緊密に連携している」との配慮を示したうえで、否定に躍起になる。報道だけではない。

 古参と言われるIOC委員らが観測気球的な発言をするのも、過去の開催地関係者が「開催は不可能」と話すのも全て海外発。その度に、国内のメディアがこれを追随して確認に追われる状況だ。東京オリンピックが、試合の勝敗を決めるはずの、もっとも大事な局面で常に「リアクション」を強いられている。スポーツ同様に戦術変更が、今後の重要な課題となる。コロナ禍での五輪開催に、様々な問題を洗い出し、医療関係者や感染学の専門家、自治体、省庁をまたいで五輪実施のために3カ月6回の議論を重ねてまとめた「中間整理案」が存在しているのに、

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