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お金とは、つながりをつくる道具である~コロナ禍の今こそ、仏教経済学のススメ

お金とは何か? どう使うのか?

藤森宣明 ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

仏教経済学とは

 「仏教経済学」とは、イギリスの経済学者、シューマッハが提唱したものです。

 彼は、1955年に経済コンサルタントとして訪れた仏教国ビルマで、仏教者の簡潔な経済生活にカルチャーショックを受け、 気づいたことを「スモール・イズ・ビューティフル」という本に記しました。そこで語られる「仏教経済学」は、これまでの「資本主義経済学」でもなく、「共産主義経済学」でもありません。

 シューマッハは言います。「仏教徒の生活がすばらしいのは、驚くほどわずかな手段でもって 十分な満足を得ていることである。現代経済学者には、これが非常に理解しにくい。『生活水準』を測る場合、多く消費する人が消費の少ない人より『豊かである』という前提に立って、年間消費量を尺度にするのがつねである。 仏教経済学者に言わせれば、この方法は、大変不合理である。そのわけは、消費は人間が幸福を得る一手段にすぎず、理想は最小限の消費で最大限の幸福を得ることであるはずだからである」と。

 お金をたくさん得て、たくさんの物を手に入れ、古いものは捨てて、新しいものをもっともっと手に入れることが幸せなのだと信じてきたが、そうではない経済学があった。大航海時代で外国に行って、もっと物を集めることを経験して、産業革命を経験し、もっとスピードアップして新しい物を手にいれることを目指して生きてきたヨーロッパ人であるシューッマッハは、ビルマのお坊さんから経済の方向転換を見せられたのではないでしょうか?

 「吾唯知足」(われ、ただ、たるを、しる)という「つくばい」が京都、竜安寺にあるのを知っていますか? シューマッハがビルマで発見したのは、日本的にとらえると、これでないかと思います。これの意味は、ただ、今、ここ自分のまわりにあるものに感謝して、満足して生きることにうなずけることこそ、大切な経済学だと。

 そういえば、こちらのお寺パロロ本願寺では、毎年年末の恒例行事として、自分の一年を省みる法要をやっています。いくつかの問いを参加者に分かち合い、参加者はメディテーションをしながら、その問いに答えを見出すという法要です。

 この度は、コロナの出現でオンラインでやりましたが、新たな問いに「コロナの出現を経験して、どのように新年は生きたらいいと思いますか?」との問いを加えました。一通りのメディテーションを終えた後、最後に感想を分かち合うのですが、そこで、参加者の一人が「シンプルに生きることだ」「必要でないものと、必要なものを見極めて生きることが大切だと学んだ」と言ってました。「必要のないもの」すなわち、まだまだ、ぜいたく品を追い求めて生きようと思っていたが、それはいらないのだと。「必要なもの」とは、すなわち、ここにあるものに感謝して生きることだと言いたいのでしょう。

 私は、この答えを聞いたとき、コロナの感染者が出始めた初期のことを思い出しました。ハワイでは外出禁止令が出たのですが、買い物は許されていたので、私がやたらと買い物に行くことを楽しんでいると、妻から「そんなに買い物に行く必要ないでしょう」と指摘されたのです。この参加者の答えは、コロナが導きだした自然な仏教経済学だなと思いました。仏教経済学は、シンプルに生きること。「より、もっと」の生活でない方向を示唆しているように感じます。

拡大コロナ禍で観光客のいないワイキキ(筆者の妻藤森史絵さん撮影)=2020年6月24日

早くまっとうなお坊さんになりたい

 日本の仏教には将来はないと大変危惧し、海外の宗教者からもっと学んで日本仏教を再生しなくてはならないと訴えていた、宗教評論家でもあり日蓮宗のお坊さんである丸山照雄という人がいました。

 1980年代から丸山さんは、宗派を問わず、日本仏教者連帯会議「INEB」という会を仲間と共に立ち上げ、 将来の日本仏教のあり方を憂い、同じように憂いているお坊さんと共に海外に学びに行くことを始めました。私もその会に加わらせてもらいました。この動きは、仏教者の中では、新しい国際的な動きで「行動する仏教者」と言われています。                                      

 この会に加わったのは、宗派にとらわれず、浄土宗、天台宗、真言宗、日蓮宗、浄土真宗、禅宗、日本山妙法寺などのお坊さんでした。私をはじめとして有名なお坊さんなどは一人もおらず、ただただ、これから仏教者としてやっていく自信もなさそうな、どこか暗さをもっていながら、光が見えないだろうかと憂いている無名のお坊さん方の集まりでした。

 バブル時代に私はこの「INEB」に加わったのですが、その頃、世間一般の人は、私達お坊さんを、自分の為に何かをしてくれる存在ではなく、 資本家の一部のように見ていると感じていました。表面的には尊敬されていても、影ではお葬式すると、これだけお寺さんに払ったとか、お車代をこれだけ払わされたとか、戒名にこれだけ払ったとか、まるでお坊さんをお金を吸い取る人達としかみてくれていないなと感じ、もやもやした気持ちで生きていたのです。

 この「INEB」に参加した地方の無名のお坊さん達も、そうしたお金を吸い取るだけの者としてみられることにうんざりしていて、みんなの役に立てる、意味のあるお坊さんとして生きたいと思って参加したように思います。「妖怪人間ベム」の漫画に、妖怪が「早く人間になりたい」と言う言葉がありましたが、INEBのみんなも「お金を吸い取るだけのお坊さん」から 「早くまっとうなお坊さんになりたい」と思っていたように思います。

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筆者

藤森宣明

藤森宣明(ふじもり・のりあき) ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

1958年生まれ。アイヌの人々が住む北海道の大地に育ち、ハワイ先住民が「開発」に直面して苦悩する姿を知り、ハワイ・カウアイ島に渡る。ハワイ先住民とアイヌの交流プログラムを立ち上げ、先住民目線で開発問題に取り組む。タイやフィリピンを中心とする東南アジア、ブラジルなど南米にも活動範囲を広げる。宗教、先住民、開発という視点から「生きるということ」の意味を問い続けている。photo by Lighthouse Hawaii

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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